今朝の新聞の書評で取り上げられている。
題を見ただけでむかつく。
曽野綾子さんは、有名な三流小説作家である。
そして、頭が悪くて心が冷たい。
三流小説を書いているだけならいいのだが、頭が悪くて心の冷たい人の常として、説教じみたことを言いたがるので困る。
以前、アフガン難民について、「難民という商売をしているのだ」と書いていた。
「テレビで見ると、アフガニスタンの街角で昼間から男たちがブラブラしているのがわかる」と書いていた。
内戦で、畑や店を失った人たちのことは知らないようだ。
「ブラブラしている男たち」を軽蔑していた。
この本は、日めくり式の格言集みたいなものらしい。
「三メートルしか歩けなかった人が、百メートル歩いたら、エベレストに登ったのと同じかもしれない。神はそれを見守る役である。神がいなかったら、百メートル歩けない人は死ぬまで一人前ではないことになる」
なぜここで神を持ち出す?
頭が悪くて心が冷たいからだ。
私がインターネットをはじめたころ、「もとのぶ君」という重度障害児のお母さんの手記を読んだ。
もとのぶ君が三歳のとき、保育園に入る。
障害児もそうでない子も一緒、という保育園である。
運動会で、もとのぶくんの名前が呼ばれる。
この子は、自分で動くことさえ出来ないのだ。
運動場のマットレスに、向こう向きに横たえられたもとのぶくんの背中に向って、園児達が声を合わせて叫ぶ。
「もとくーん、こっち向いてー!」
何度も叫ぶ声に応えて、もとのぶくんは動きはじめる。
身体を震わせて、力を振り絞って、「うーん!」という声と共に、ゴロンとみんなの方を向いた。
大喜びのみんなの歓声とお母さんの涙。
神様を持ち出す必要はない。
曽野さんは、三メートル歩くどころでないことで、感激し祝福している親兄弟先生医師看護婦友達がたくさんいることを知らないし、想像する力もないようだ。
人間をなんと思っているのだろう。
曽野さんはカトリック信者である。
私は、キリスト教のことはよく知らないが、多分彼女は最後の審判の日に、傲慢の罪で地獄に落ちると思う。
しかし、心配はいらない。
阿弥陀如来が、罪悪と煩悩にまみれた彼女を救ってくださるであろう。
地獄から西方極楽浄土にお引っ越しだ。
曽野さん、最後の審判の日は、ちょっと忙しいですよ。