若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

黒い乳母車

ふとしたきっかけでいろんなことを思い出す。

先日は、我が家にあった黒い乳母車のことを思い出した。

父には姉が五人いた。
皆長命であった。
最後に残ったのが四番目の伯母だった。

伯母は二十年前に主人を亡くした。
そのとき、伯母は腰の骨を折っていて歩けなかった。
葬儀が行われた寺の階段を、私が負ぶって上がった。
私の背中で伯母は感に堪えたような声を出した。
「は〜・・・あんたにおんぶしてもらう日が来るとはな〜」
私は何気なく聞いていた。

90歳を過ぎての一人暮らしも立派なものだったが、最後の一年ほどは寝たきりで、入退院を繰り返した。
子供がなかったのでそうした手配は私がした。

最後まで、明朗快活な伯母であった。
昔話などしない人だったが、ある日突然、「あんたはにぎやかな子やったな〜」と言った。
天神祭の頃、赤ん坊の私を乳母車に乗せて天神橋を通ると、聞こえてくるお囃子に合わせて私が「チャッチャッ」と言いながら踊るような仕草をしたと言った。

亡くなる一月ほど前病室に呼ばれた。
「もう死ぬような気がする」と言った。
私に礼を言うと、世話になった人たちの名前を挙げて、感謝の気持ちと、面白い一生でしたと言う言葉を伝えてほしい、と言って目を閉じると眠ってしまった。

そのまま亡くなれば立派なものだが、そうはいかない。
しばらくすると目を覚ました。
「ここ死人部屋か?・・・え?私、まだ死んでないのか?」

先日、ふと伯母の天神祭の話を思い出した時、ああ、私を乗せて伯母が押していたのは、あの黒い乳母車だったのか、とひらめいた。
昔、家にあったクラシックな黒い乳母車は、妹の乳母車だと思っていたのだ。
妹のすぐ前に私が乗っていたとは思いもしなかった。

そして、子供のなかった伯母は、よく私のお守りをしてくれていたのだな、と思った。
寺の階段を私に負ぶわれて上がった時、伯母はその日のことを思い出していたのだ。

今までばらばらだったジグソーパズルが、すっと出来上がったような気がした。
伯母が私を負ぶった日から、60年近くかかって完成した。

生きていくということは、どこにおさまるのかわからないパズルのかけらを作っているようなものか。
伯母と私では、かけらが少ないので手間がかからなかったが、親子ともなると、かけらが多すぎて、パズルが完成することはないのかもしれない。