若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

鹿せんべい飛ばし大会

昨日、若草山観光振興会の会長から「今年もよろしく」と電話。

今年は3月20日が山開きだそうだ。
若草山山開き記念鹿せんべい飛ばし大会開会式」で、「鹿せんべいツイスト」を歌って踊るのが私にとって年に一度の楽しみである。
家内に言わせると、「年に一度の恥さらし」ということになるのだが。

家に帰って、電話があったことを報告したら、家内も娘も「し〜ん」という感じであった。
私の芸能活動について、家族に理解がないのがさびしい。

若草山で歌うのがなぜ楽しいか不思議と言えば不思議だ。
私は歌うのが好きではない。
年一度だ。
練習もしない。
それでも気楽に歌える。
後半息切れするのが難点ではあるが。

ギターを弾くのは好きだ。
一生懸命練習もする。
ところがギターを持ってステージに立つと、全身が硬直し、指が引きつる。
楽しんでいるのか苦しんでいるのか自分でもわからなくなる。

なぜ気楽に歌えるのか。
よほど歌をなめているのであろう。
歌っているのではなくて、「若草鹿之助ごっこ」をしているのかな。

小学校の時から音楽が嫌いだった。
音楽の先生が「ヒステリー」というあだ名の女の先生で、余計嫌いになったのだと思う。
声は良いと言われた。
ボーイソプラノである。
私が歌うと、「天使の歌声」とか「東大阪の夜鳴き鶯」とか言われたものだ。

小学5年の時、市の小学校合唱コンクールに出るメンバーにも選ばれた。
迷惑であった。
「夜汽車」という曲を歌った。
私は「低音部」を歌う事になった。

とにかく「低音」で歌わねばならぬと、目いっぱいドスのきいた声を出そうとして先生に叱られた。

放課後の練習がイヤだった。
ある日私はコーラスの練習をすっぽかして野球をしに行った。
後で、先生や母からさんざん叱られてますます歌が嫌いになった。

中学でも音楽は嫌いだった。
音楽の授業でひとつ覚えているのは、学校にステレオが入ったときだ。
先生がレコードを見せた。
「これがステレオだ!」というレコードだった。

レコードをかけると、教室の左の方で、「ポーッ!」という汽車の汽笛が聞こえた。
「シュッシュッ!」という音が左から中央、右へと移って行った。
遠ざかりながら右の方で「ポーッ!」と汽笛が聞こえた。

これがステレオか?
つまらん。

とにかく、若草山で歌う自分が不思議である。