若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

俳人

俳人」というと、「普通の人」という感じがする。
ヘンな人、おかしな人はいないように思う。
俳句は、健全な人の健全な趣味という気がする。
「前衛的、戦闘的俳句」もあるんでしょうが。

昔は、ヘンな人が多かったようだ。
村山古郷著「明治俳壇史」「昭和俳壇史」を読んでそう思う。

「大正俳壇史」を含めた三部作だが、図書館には「大正」がなかった。
「俳壇史」に興味があって勉強しようというのではないから、こういう抜け方は楽しい。

明治時代は、「古い俳人」の中に「新しい俳人」が進出していった時代で、若者達が実に熱狂的に俳句に打ち込んだようだ。

「新しい俳句」の代表者であった河東碧梧桐が、明治43年に日本全国を遊歴した時、各地で熱烈な歓迎を受けた。

出雲のある俳人などは、ムシロに「迎俳聖」とでかでかと書いて碧梧桐を迎えたという。
こういう人、好き。
「俳聖」はすごい。

碧梧桐の「追っかけ」になって家庭を顧みず、碧梧桐に説教されても聞き入れない人もいたらしい。
俳句の世界で、こんな熱狂的な人って今もいるのだろうか。

昭和の俳人西東三鬼は医者だった。
診察室にはいつも俳句仲間がたむろして、患者そっちのけで俳句談義に花を咲かせていた。
あまりのことに看護婦が、「先生、診察をお願いします」と言っても「かまわん。待たせておけ」と言って取り合わなかったそうだ。

そういう「芸術的俳人」以外に、俳句を単なる語呂合わせみたいに考えて楽しむ庶民達もいた。
そういう「俳人」は、俳号も「べんけい」とか「よしつね」とかふざけた人が多かった。
集まっては「俳句」を作って点をつけ、成績がよいと賞品をもらえた。

俳句雑誌の記者が、そういう「庶民派俳句」とは一体どんなものかと取材に行った。
会場に主催者が現れて集まった人たちに
「いつも、五、七、五では面白くないから、今夜は、五、四、五でいきましょう」と言ったので驚いたそうだ。

こんなの、好き。