新聞の読者投書欄に、先ごろ亡くなった茨木のり子さんの詩に出会って生き方が変わったと書いている人がいた。この人は、高齢で病気のお母さんや家族のせいで、自分は何もできないと不満ばかり言っていたそうだ。
茨木のり子『自分の感受性くらい』
「ぱさぱさに乾いてゆく心を
人のせいにするな
・・・
苛立つのを
近親のせいにするな
・・・
駄目なことの一切を
時代のせいにするな
・・・
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ」
私は、詩が好きではないので、茨木さんがどんな方か知らないが、こういう詩に出会って衝撃を受ける人もいるだろうなとは思う。
何となくガツンと一発食らったような気がするのだろう。しかし、ヘンな詩だ。駄目なことの一切を時代のせいにする人なんかいるのか。幸いにして私は知らない。言いたいことはわかるが設定が極端だ。演歌の世界に近い。
私は、詩にはあまり同情しない。俳句の五、七、五、短歌の五、七、五、七、七には同情する。そこに詰め込むというか縮めるというかちょん切るのは大変だろうなと思う。
詩は伸縮自在適当でいい加減だと思う。
人のせいにしている自分についてもっと色々考えればいいのに、「ばかものよ」とシャウトしてびっくりさせて終わるのがずるい。
「ばかものよ」がキメのセリフなのだろうが嫌な言い方だ。この詩を読んで私はすぐ相田みつおさんを思い出した。発想が似てると思う。
相田さんならこうだ。
「何でも人のせいにするきみがいる
苛立つのを近親のせいにするきみがいる
駄目なことの一切を時代のせいにするきみがいる
いいじゃないか
人のせいにしたって
人間だもの
そのまんまでいいんだよ、茨木さん」
相田さんは「癒し系詩人」で、茨木さんは「叱咤激励系詩人」あるいは「非難罵倒系詩人」なのだろう。
流派は違うが、キメの、「そのまんまでいいんだよ」と「ばかものよ」は似ていると思うのである。