若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

橋本先生part2

色々思い出すが、不思議なのはなぜ私が橋本先生に卒業以来ずっと年賀状を出しているのかと言うことだ。
自分でも分からない。

美術部の顧問だった先生に出し続けているのは分かる。
高校四年間、美術部がすべてとは言わないが、かなりの部分を占めていたから当然だ。

橋本先生は三年の時の担任というだけである。
しかも、生徒のことはほったらかしの先生だったのだ。

落第してからの担任の先生は、年配の女の先生で、私に母親的に気を配ってくださった。
迷惑であった。すみません。

先生が心配して私に話をされたとき、私は、「落第しても誰に迷惑をかけたわけではない」というような愚かなことを言ったことがある。
若気の至りである。
先生は目を丸くして、頭のてっぺんから声を出された。
「あなたねーっ!誰にも迷惑をかけてないなんて、○×△・・・・!」

その後エンエンと続いた説教は、右の耳から左の耳へ抜け、鼻から抜け口から抜け毛穴から抜け、ありとあらゆるところから抜けてしまって何も覚えていない。
説教しても無駄だとつくづく思う。

私といっしょに美術部のO君も落第した。
彼は連続落第しそうな勢いであった。
ある日私は彼の担任の先生に呼ばれた。
「若草、あいつに勉強するよう言うてくれんか」
落第生の私に頼むとは、先生もかなり苦しいなと思った。

橋本先生は偉かった。
心配もされなかったし、説教もされなかった。
落第に関して言われたのは、「破廉恥罪を犯したわけじゃない」ということだけであった。
恥ずかしいことではないのだ。
胸を張っていいのだ。

文化祭でクラスの有志が合唱をした。
幸せなら手をたたこう」という曲だけ橋本先生がピアノ伴奏された。
私は客席で見ていたのだが、実にひどいできだった。
ピアノと歌が全くばらばらなのだ。
合わせる練習をしなかったのだろう。

文化祭の後、教室に入ってきた先生は開口一番
「よくも担任に恥かかせてくれたな」

十数年前、生物教育に関する会議が大阪で開かれるので協賛金を募るという封書が来た。
実行委員長が橋本先生だった。
何だかうれしくなって、いくらか振り込んだ。

数日後先生から電話がかかった。
「おう、協賛金、ありがとう」

卒業以来初めて聞く、懐かしい、ぶっきらぼうな愛想のない声であった。