若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

針の穴

朝、駅前で国会議員のMさんが演説していた。
チラシも配っていたが、受け取る人はほとんどいない。
私は受け取る。
昔、アルバイトでチラシを配ったことがあるからだ。

Mさんのチラシに、国会での改憲論議について「針の穴を通すような議論」という表現があった。
「極めて精密な議論」というより、「細かいことに捕らわれた議論」というような意味で使っているようだ。
意味の取りにくい表現であった。

「針の穴」と言えば、おばあちゃんだ。
私の祖母は、日当たりのいい四畳半で、よく針仕事をしていた。
針の穴に糸を通すのは、私の仕事だった。
何の疑問も持たず、糸を通していたが、あるとき、おばあちゃんは針の穴が見えないので私にさせるのだということがわかった。

針の穴が見えない?
私は、針の穴を見つめた。
これが見えないのか?不思議であった。

知り合いの60歳くらいの男性。
この人は若い頃釣りに熱心であった。
30過ぎからゴルフに熱中して釣りを忘れていた。

数年前、久々に釣りに行って、釣り針に糸を通そうとしたら、長年使っていなかったからか、穴がふさがっているようだった。
何度こすっても穴が見えないので、隣の人に見てもらったら、すっと通してくれた。
ショックだったそうだ。

先日、得意先に行った。
工場に入ると、工場長が一人で機械をさわっていた。

私を見ると、「おー!ええとこへ来た。この辺に穴が開いとるやろ。このピン入れて」
私が入れると、
「な〜、そんな年になってしもたんやな〜。昔工場長が、よ〜『穴が見えん』て言いよって。こんな穴が何で見えんのか不思議に思うとったけど、見えんようになるんやな〜」

年を取って、針の穴が見えなくなるかわりに、人の心や世の中が見えるようになるのならいいのだが、そううまくはいかんもんだ。