若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

針のむしろ

昨日書いた九州の伯母の葬式で、私は生まれてはじめて「針のむしろ」というものに座った。

伯母は、父の五人の姉の三番目だ。
戦前に三人の子供のある人に後妻として嫁いだ。
二十年ほどの結婚生活の後主人が亡くなって、長男と暮していた。

八十前に倒れて、十年間寝たきりで意識もはっきりしないような気の毒な晩年だった。
聡明で社会的にも活躍した人だけに、余計に残酷な感じがした。

伯母が危篤だという知らせがあった時、私の周辺も大変であった。
何しろ、末の弟である父が八十過ぎだった。

母のボケが進行していた。
父は肺がんが見つかって入院、手術を控えていた。
父が世話していた子供のない姉二人が、共に骨折などで入院していた。
私と直接関係は無いが、父の二番めの姉も骨折で入院していた。
これまた直接関係は無いが、家内の祖母と伯父も入院していた。

とても九州に見舞いにいける状況ではなかった。

葬儀には私が代表として行った。
実に冷たい空気で迎えられた。
葬儀場に一人ぽつんと放って置かれた。
あちこちでひそひそ話しているのを聞いて驚いた。

私は、大阪の冷酷な親戚の代表として、最後の見舞いさえしなかった伯母の遺産だけを受け取りに来た強欲な男、なのだ。
養子縁組をしていないので、世話をした子供達に相続権は無く、父をはじめ姉妹が相続するらしい。

伯母が貯めた財産はともかく、伯母は、この人たちの父である主人の遺産もかなりネコババしたと言うようなことも面と向って言われた。
私に言われても困る。

長男の人から「喪主はあなたです」と言われた時は驚いた。
相続権者の代表として喪主を務めろということらしい。

もっと驚いたのは、焼き場で骨壷を渡されて、持って帰って下さい、と言われた時だ。
呆然とした。
当然、亡き主人と共に葬られるものだと思っていた。

入院中の父がどれほど衝撃を受けるかと思うと、暗澹たる気持ちだった。
翌朝、骨壷を抱えて新幹線に乗った。

時々、鉄道の忘れ物に骨壷があったと言う話を聞くが、こういう場合にわざと置き忘れるのだろうと思った。

骨壷を持った私は、よほど憔悴しきった表情をしていたようだ。
隣に座ったおばあさんが、「どなたがお亡くなりになったんですか。元気出してください」と言って、みかんをくれた。

伯母は私の父と同じ墓地に眠っている。