若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

車内講演会

今朝、近鉄奈良線難波行き準急車内で講演会が開催された。

演題は
「歴史に学ぶ:激動の時代を生きる知恵と行動力」

講師は50歳くらいのお父さんで、聞き手は高校3年生の息子だ。
二人が乗り込んできた時、すでに講演は始まっていた。

石田三成は一万五千石の大名やったんやけど、二万五千石加増されて、四万石になったんや。ということは、千人ほど家来を増やせるわけや。
ある日、秀吉が三成に、家来はどれほど増えたか、と聞いたんやな。
『一人でございます』
『なに!一人!その一人とは誰じゃ』
島左近でございます』
島左近という人は偉かったんやな」

息子が口をはさんだ。
「なにが偉かったん?」
「いや・・なにがて・・知らんけどな。知らんけど、浪人してる島左近に、いろんな大名が仕官してくれって頼んだんやから、えらかったんやろ。

で、秀吉が
島左近ほどの者がお前の様な若造に仕えるとは!いったい何石で召抱えたのか』
『二万石でございます』
『二万石!?主君のお前が二万石で家来の島左近が二万石では計算が合わんではないか』
『計算は合います。いずれ私は島左近の働きによって十万石になります。そうすれば私が八万石で左近が二万石で計算は合います』と言うたんや」
「ほんま?」
「いや・・ほんまかどうか知らんけど、そう書いてあったんや」

「で、結局十万石になったん?」
「いや・・十万石て・・石田三成やからなあ・・十万石ていうことはないやろ。やっぱり・・最終的には何十万石とちがうか」
「最終的には三成って殺されたんとちがうん?」
「まあ、最終的にはな」
島左近は?」
「いや・・知らんけどな・・この話は結局、組織は人やということや。

それともう一つこの話で分かるのは、当時の日本が拡大志向やったということや。二万石が十万石、十万石が二十万石。これではいずれ行き詰るわな。その時どうするか。道は二つあるんやな。そのいっちばん安易な道を選んだのが秀吉や。朝鮮出兵で拡大路線を続けたわけや。これがいっちばん安易な道や!

徳川家康が偉いのはそこや!」

なるほど、やはり徳川家康になるのか。
家康の選んだ道が何か私は非常に興味があったが、息子はそうは思わなかったようで床に置いたバッグを持つと、ドアの方へ歩いて行ってしまった。

乗り換えるようだ。
置いてきぼりにされた講師は、仕方なく黙って後に続いた。