若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

若草山山開き記念鹿せんべい飛ばし大会報告:4

「ファイブローズ」の人たちは、雨の中、誠実に歌った。
曲の紹介もいつもどおりで丁寧であった。

私は、いろんなおしゃべりを用意していて、音響係の人とも、どこで歌いだすか打ち合わせもしていたが、この雨と十数人の客ということを考えて、急遽歌だけに変更したのである。
これは、「手抜き」と言うのだろうか。

「ファイブローズ」の歌の間に客がいなくなると言うことはなく、皆辛抱強く聞いていた。
となると又心配だ。
私が歌いだしたとたんに堪忍袋の緒が切れて皆いなくなってしまうのじゃないか。

いよいよ私の番になった。
ステージに上がった、と言いたいが地べただ。
十数人の客とは少し離れた所に、丑之助君とセンベー君が、さっき土産物屋で買った二百円の傘をさして立っているのが見えた。

サラ金に追われて若草山に逃げ込んだようにも見えるが、わびしげな二人の姿から私は、雪舟の名作「雨中二仙人山行図」を思い出した。

私が、新曲「昔々のロックンロール」を歌いだすと、雨宿りしていた人たちが、どっと十人ほど集まってきた。
客は一挙に5割り増しだ。
私の集客力がすごいと言うより、やはり1オクターブ高い声が子供にはインパクトがあるのだろう。

♪昔々ある所におじいさんとおばあさんが住んでいました
 おじいさんは山で柴刈りもせずにおばあさんは川で洗濯もせずに

「これが作詞か?」と言う人があるだろうが、「本歌取り」と言って和歌の世界では古くからある技巧だ。

私は、詩では藤原定家、音楽面ではバッハの影響を受けている。
今回の作品で両者の融合が一応の完成を見たように思うので、名前を
「藤原バッハ」と改めようと思う。

こう言うと、知ったかぶりをして
「藤原バッハはおかしい。ヨハン・セバスチャン・藤原が正しい」とか、「いや、バッハ定家がいい」とか、中には、「セバスチャンではなくて定家ちゃんだ」などとわけのわからんことを言ってくる人があるだろう。

そういうことは承知の上で、語感的に「藤原バッハ」を選んだのだ。

武道館などでライブをするときは、これまで通り「若草鹿之助」でいくが、クラシック系のホールでやる時は「藤原バッハ」にする。

イタリアに行かれたとき、「ミラノスカラ座で藤原バッハ公演!」という張り紙を見かけたら、それは私のことです。