東京のビルで、回転ドアにはさまれて男の子が死んだ。
ドアのメーカーと、管理責任者であるビル会社の責任だ。
子供のメーカー兼管理責任者である親の責任でもある。
私が回転ドアを知ったのは、たぶんアメリカの映画かテレビドラマの中でだ。
かっこいいビルの入り口でかっこいい人たちが出たり入ったりするとてもかっこいいものだと思った。
私にとって、「豊かさの象徴」のひとつだった。
自分で回転ドアを体験したのはそれほど古いことではない。
そのとき受けた印象は、かっこいいというものではなくて、何だか不安な感じだった。
子供の頃、縄跳びで入るのをためらったときの感覚を思い出した。
私が、決定的に「反回転ドア派」になったのは、「工場安全講習会」に出てからである。
そのときの講師は、某大企業で長年にわたって全国の工場を回って、工場災害の防止に取り組んでこられた方であった。
「回転しているものは危険です」
この言葉が頭にこびりついている。
どんなにゆっくりでも回転しているものにさわってはいけない。
近づく時は細心の注意を払わなければならない。
この講師の方の話からすれば、回転ドアは危険だ。
そして、「ハインリヒの法則」だったか「ヒヤリハット」だったか忘れたが、ひとつの大きな事故の前にはたくさんの「ひやっとした」経験があるものだという話しもされた。
こういう人から見れば、今回の事故はバカバカしい限りのものであろう。
この方は、いろんな工場を回って危険作業や危険箇所を指摘して改善を指導する立場だった。
しかし、能率が落ちるとか、工程の改善に金がかかるとかいう理由で、なかなか受け入れてもらえなかったそうだ。
「しかし、死亡事故がおきれば一発です」
人間はいろんなことを考える。
安全のためのセンサーをずらすことも考える。
回転するものの中で最も危険なのは、人間の頭の回転だ。