若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

南無大師金剛遍照

母のいる施設に行く。

広間のテーブルに習字用の半紙が置いてあった。
「桜の庭」
「春の小川」
何枚も書いてある。

署名を見ると、あの凄まじい握力の怪力女性、舌をべろんと出してヨタヨタ歩くYさんだ。
ボケる前は、かなりの達筆であったようだ。

「千鶴子」「ちづ子」と二通りに書いてある。
一枚だけ、「吾郎」と書いてあったので、ご主人の名前だろうと思って職員さんに聞いたら、息子の名前だった。
なんだかさびしい気がした。
どうでもいいようなものだが、今や「息子」でなくなった私としては、こういう場合夫の名前を書いて欲しいと思った。

何枚か「春の小川」と書いてある中に、一枚だけ「春の小田原」と書いてある。
Yさんがふざけて書いたとは思えない。
洒落ではない。
なんだ、これは?

もう一人のYさんは94歳、小柄な女性だ。
職員さんに何かしてもらうと、右手を顔の前に立てて拝むような格好で
「ありがとございます。ありがとございます」
と言う。
好感が持てる人だ。

この人は、テレビの「水戸黄門」に出ても違和感がないような人だ。
そのままの格好で、あぜ道に土下座して、黄門様と助さん角さんを出迎えてもおかしくない。

「漫画日本むかし話」に出て、川で洗濯をして桃を拾って帰って、漫画のお爺さんと一緒になって桃から生まれた桃太郎にびっくりしてもおかしくないような、典型的模範的「ニッポンのおばあちゃん」だ。

この施設におばあちゃんは多いが、「漫画日本むかし話」に出演できるような人はほとんどいない。
おじいちゃんとなると皆無だ。

21世紀初頭、日本の少なくとも都市部では、昔々ある所に住んでいたようなおじいさんもおばあさんもいなくなってしまったのだ。

このYさんが、車椅子に座って独り言を言っている。

「もったいない、ごもったいない。南無大師金剛遍照、南無大師金剛遍照。ああ、ありがたいありがたい」

何度もくり返す。
ほとんど理想的なボケ方という感じさえする。

今、Yさんはお大師様と共に、無量光遍く降り注ぐ春の遍路道を、寂光土へと歩んでおられるのだと思えないこともないが、Yさんは「南無大師金剛遍照。ありがたいありがたい」の十分おきに、「いま、何時ごろですか」と聞くので、お大師様もそのたびに腕時計を見て答えなければならんので大変だ。