若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

ちゃん

「○○ちゃん」と呼んだり呼ばれたりするのはいい感じだ。

以前住んでいた地域は、「ムラ」的雰囲気がかすかに残っていて、爺さん達が互いに「ちゃん」付けで呼ぶのがほほえましかった。

最近駅にできたパン屋で、息子と幼稚園でいっしょだったA子ちゃんがアルバイトをしていると聞いて、家内が昨日出かけたとき店をのぞいてみた。
卒園以来なのでちょっと分かりにくかったけれど、この子だろうと、「A子ちゃん」と声をかけたら驚いていたそうだ。

私が27、8の頃だったと思うが、駅で「鹿之助ちゃん」と声をかけられた。
その町には小さいときからずっと住んでいたので、そう呼びかけられることは多い。

振り向くと、幼稚園のT先生だった。
驚いた。
卒園以来二十年以上。
よくも覚えていてくださったものだと感激した。

その幼稚園の先生の中では年配で、主任格だった。
優しい笑顔が印象的な先生だった。

ずっと後になるが、私の娘達もその幼稚園にお世話になった。
面接試験で先生は、娘に、「先生は、あなたのお父さんとお友達よ」と言われたそうだ。
娘は、「知ってる」と答えたそうだ。

幼児教育一筋で、後には大学で教鞭をとられた。

先生に声をかけられてしばらくして、B君に会った。
彼とは、幼稚園と小学校がいっしょだった。
近所に住んでいて、仕事の上でも多少付き合いがある。

彼は、小学校では「バルボン」と言うあだ名だった。
当時、阪急ブレーブスに、キューバ出身のバルボンという選手がいた。
色が黒くて守備がうまかった。
B君も、色が黒くて守備がうまかったので「バルボン」と呼ばれたのだ。

T先生のことを話したら、「オレもや!」と叫んだ。
彼も少し前、町で先生に、「たかおちゃん」と呼びかけられて驚いたと言うのだ。

意外であった。
私は、先生は、数多い卒園児の中でも特にかわいくておりこうだった私だからこそ覚えていてくださったのだと思っていたのだ。

特に可愛くもなくおりこうでもなかったこいつのことまで覚えておられたのか、とがっかりしかかったが、あわてて思い直して、こいつのことまで覚えていてくださってありがたいことだと、先生に対する敬愛の念が一層深まったのは、私の日ごろの精神修養の賜物だろう。