若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

「チャット」

小学生が同級生を殺した事件で、「ホームページ」や「チャット」もきっかけの一つのように報道されている。

「チャット」というのを私は知らないが、たぶん、「掲示板」を使って「おしゃべり」するのだろう。
これは結構難しいと思う。
文章でおしゃべりは難しい。

「しゃべるように書く」のはそれほど難しくはない。
「言文一致体」でかけばよろしい。
それでも、昔の人には易しくはなかっただろう。

大学のとき、国文学の先生が、戦前の自分の学生時代の思い出話をされた。
東京の、女給などが大勢すんでいる安アパートに暮らしていて、管理人役をしていた。
はがき等も各部屋に配るのだが、あるとき女給宛のはがきを見るともなく見た。
地方に住む客が、東京に出てくるので会おうという内容だった。

「謹啓。梅雨の候、貴下益々ご清祥の段大慶に存じ上げ候。拙者六月二十日上京仕り候間」とか、まあそんな調子で書いてあって、締めくくりは「敬具」なのだが、その後に、「待っててネ」と書いてあった。

先生はそれを見て、「あ!言文一致!」と思われたそうだ。

文章による会話の難しさを経験した人はあまりないだろう。
90を過ぎて一人暮らしをしていた伯母が倒れて、私が世話をすることになってうちの近くの病院に入院したとき、その難しさを経験した。

伯母は耳がまったく聞こえなかった。
非常に頭の良い人で、恐るべきカンで、こちらの問いに答えるので、医者や看護婦は、伯母がある程度聞こえると信じきっていた。

私たちは、文章を書いて伯母に見せることにした。
このとき、「口語体」は書けても「文章でおしゃべり」は難しいと痛感した。

暑いとき、何も考えず、あいさつとして「暑いね」と言う。
しかし、「暑いね」と書くと、伯母は「クーラーをつけなさい」などと言う。
文字で書くと、「どうでもいいんだけど」という雰囲気が出ない。

たとえば、伯母にAとB、どちらでもいいんだけど選んでもらおうというとき、「どちらでもいいんだけど」と言う雰囲気が出しにくい。

「どちらでもいい」と書いてしまえば、いかにも愛想がなく投げやりだし、そうでないと、「AかBか!?」と決断を迫るような感じになる。

「おしゃべり」は、表情などでかなり補っている部分がある。
それを「顔文字」にさせようというのだろうが、ちょっと苦しいのではないか。