バスで。
向かいの席で、若い父親に抱かれた赤ちゃんがこっちを向いていた。
何ヶ月くらいだろうか、色の白い、ぽちゃぽちゃした、目の真ん丸い、私好みの赤ちゃんだ。
こういう赤ちゃんは、私はじろじろ見る。
遠慮しない。
頭のてっぺんからつま先まで、徹底的に繰り返し見る。
カネを払えというなら、500円くらいなら出してもよろしい。
抱いている父親は一見ヤンキー風である。
横にいる母親もヤンキー風だ。
赤ちゃんとぜんぜん似ていない。
私は席を立って彼らに、「この子はあんたたちの子にしたらできすぎだ。大事に育てないとバチがあたるぞ」と言おうかと思ったがやめた。
赤ちゃんの動きが好きだ。
赤ちゃんが「意志」の芽生えみたいなもので、自分の手足を一生懸命動かしているように思えるときもあるし、そうではなく、赤ちゃんの手足が勝手に動いているように見えるときもある。
神秘的で厳かである。
蒙古斑について書いたところだが、この赤ちゃんは、鼻から左目のまぶたにかけて出ているようだ。
薄いきれいなブルーで、まるでアイシャドウみたいに見える。
「美白赤ちゃん肌」がいっそう美しく映える。
こういう赤ちゃんと比べると、オロナイン軟膏で手入れを欠かさず維持している私の自慢の「ウルトラルーセント美白赤ちゃん肌」も完全に負けだ。
そう認めざるを得ない。
こういう潔さも私の性格の一つだ。
赤ちゃんはみずみずしい。
水分豊富という感じだ。
それでよだれが出るのだろう。
私は最近よだれを出すことはない。
水分が不足しているのだ。
といって、水をガブガブ飲めばいいというものではないだろう。
みずみずしくなる前に下痢をすると思う。
私の父は用心深い人だった。
亡くなる直前、「O−157」がはやったことがあった。
父は非常に心配していた。
ある日、腹具合がおかしいので医者に行くと言って近くの病院に行った。
「O−157」にかかったのではないかと気にしているのかと思った。
ちがった。
「O−157」対策として、水を飲めばよいと書いてあったのを読んで、父は水を一気に2リットルも飲んだのであった。
それで腹具合がおかしくなったのだ。
お医者さんに、無茶をしてはいけないとたしなめられたそうだ。