若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

日米野球

アメリカの大リーグ選抜チームがやって来て、日本選抜チームと試合をしているが、日本チームは全敗だ。

テレビを見ていたら、アナウンサーが、やたら「これがメジャーです!さすがメジャーです!」と叫び続けていた。
打っても投げても走っても捕っても、「これがメジャーです!」とめじゃーめじゃーにほめまくっていた。

「真剣にプレーしてくれてありがとうございますとお礼を言いたい」などという、国辱的発言も飛び出していた。
進駐軍の亡霊が取り付いているとしか思えない。

今回使用しているボールが、アメリカで使っている重いボールなので、日本人にとっては、投げにくく、打っても飛ばないそうだ。
野球も、ボクシングや柔道のように体重別にして、「フライ級」とか「無差別級」とかクラス分けをする必要があるのかもしれない。

日米野球の歴史は古い。
嘉永6年、ペリー提督率いるアメリカ極東艦隊が三浦半島浦賀沖に姿を現し太平の眠りをさました。
嘉永7年、横浜において日米和親条約が締結され、下田、函館が開港された。

開港されると早速、下田の了仙寺では、極東艦隊軍楽隊による演奏会が開かれた。
この時、極東艦隊の兵士たちが野球をした。
それを見た下田奉行所の侍たちが興味を示し、約1週間の練習の後、下田奉行所の馬場において、「日米和親条約締結記念日米対抗野球大会」が開催されたのである。

日米和親条約締結の、日本側首席代表林大学頭の開会の辞、ペリー提督の始球式のあと、熱戦の火蓋が切られた。
バックネットがなかったので、下田の漁師から網を借りた。
日本チームは不慣れではあったが、剣道の達人をピックアップし、鋭い振りでアメリカチームの投手を打ち崩し、今一歩のところまで追い込んだが、9対7で敗れた。

試合終了後ペリー提督は、「この国は100年後には恐るべき敵となるだろう」と語った。
イチローや松井の活躍を、天国のペリー提督は喜んで眺めていることであろう。