若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

脳移植

スティーブン・ピンカー著「人間の本性を考える」を読み始めた。

前にも、この人の本のことを書いたことがある。
「検索」で調べたら、去年の12月20日だ。
こういうことが瞬時にわかるのだから、「検索」は頭がいい。
森田健作とはだいぶ違う。

何の話か。

この本は、上と下に分かれている。
前の本もそうだった。

こういう時私は「上」だけ買う。
前の本は「上」だけしか読んでない。
「上」を読んでるうちに何が何だかわからなくなってしまったからだ。
今回もその可能性がある。

私のような読者のために、「上」と「下」に分けてくれているのだと思う。
出版社は、「上」をたくさん印刷するものだろうか。

以前、ある本の「上」を読んで面白かったので、「下」を買って読んだが、なんだか話が飛躍しているようでわかりにくいと思ったら、「中」もあったのだ。
「上、中、下の上」と書いてくれないとわからないではないか。

スティーブン・ピンカーの前の本の「上」に何が書いてあったか完全に忘れてしまったが、「サドとマゾ」について面白いことを書いていたのだけ覚えている。

今回も、たぶんこれだけは覚えているだろうという話が出てきた。
ダニエル・デネットという哲学者が臓器移植について語った言葉だ。

「脳移植は、移植される側になるより提供者になるほうがいい唯一の移植手術だ」

なんとなく、なるほど!と思う。
心臓や腎臓などは、移植された方が、「もらっちゃった!ラッキー!」という感じだが、脳を移植されたら、「乗っ取られた」という感じだ。

「脳こそ私だ」というか、「私が脳だ」というか、まあこのあたりからだんだんこんがらかってくるのであるが、「とにかく脳だ」というのが普通の考えになっていると思う。
なかには、「胃こそ私だ」という人もいるかもしれない。

生物学者は、ニワトリとウズラの脳を入れ替える、とんでもない実験をしているそうだ。
ニワトリの脳を持つウズラは、コケコッコーと鳴くようになる。
しかし、すぐ死んでしまう。
ニワトリの脳に対して、免疫系が拒絶反応を起こすのだ。
体が脳に対して、「あんたは私じゃない」と言うのだ。
体が脳に対してノーと言う。

深遠な問題を語っている割にはオソマツなダジャレだが、私の脳が発するオソマツなダジャレに体は十分免疫ができているので、心身ともに健康だ。