若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

本を読むとかしこくなるか

読んでいる間はかしこくなったような気がする。
しばらくして読んだことを忘れると、元の木阿弥だ。

ある年配の作家が書いていた。
本を読んで非常に感動した。
オレもうかうかしていてはいかんな〜、と思って立ち上がって、ふと、アレ、何に感激したのかなと思ったというのである。

図書館で、小沢昭一さんの本を借りた。
『ものがたり 芸能と社会』
小沢さんの本はいくつか読んでいる。

この本のはじめに出てくる、ポンピドーセンターの大道芸人の話は、以前どこかで読んだことがある。
だいたい「芸能の源流を探る」という感じのものが多いから、似たような話がでてくる。

この本でも、「浪花節」や「節談説教」の話が出てくるが、この辺は私も大いにお世話になっている。
小沢さんの出身の「新劇」の客が、昔は若い男女だったのに、今や中年女性ばかりというのも、どこかで読んだことがある。

この本の終わりに、日曜画家やカラオケの例を挙げて、これからは「見る芸能」から「する芸能」の時代になる、そのときプロの芸能者の役目は、演じることから教えることになると書いてあるのを読んで、これは、誰かに聞いた話だと思った。
M君か、ヤマハの誰かから聞いたのだったか。

しばし考えて、ひらめいた。
誰に聞いたわけではなく、私が以前この本を図書館から借りて読んでいたのだ。
なじみのある話が多いはずだ。

『日本美術を学ぶ人のために』は非常にためになる本だった。
今の私は日本美術について少しかしこくなっている。
あと二、三日はかしこいと思う。

平家の東大寺焼き討ちのころ、東大寺は非常に落ちぶれていたようだ。
昔絶大な勢力を持っていたのが落ちぶれたのだから、焼き討ちしやすかったのだろう。
京都には続々と立派な寺ができるのに、奈良の寺は荒れる一方だった。

大江親通(おおえのちかみち)という人が『七大寺巡礼私記』で、当時の南都七大寺の荒廃ぶりを描いている。
大江親通は、京の都から奈良へ行くのに近道をせずあっちこっち寄り道している。
なぜ大江頼通という名前にしなかったのかナゾだ。

日本仏教の聖地七大寺がこれほど荒れ果てているとは一大事だと書いているが、そこまで書きながら、「七大寺なのに一大事とはこれいかに」と書いていないのもナゾだ。