若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

臓器移植

臓器移植に関する法案が、衆議院を通過したのだったか。

臓器移植について、知りたくない。
関係者には悪いけど、知りたくない。
関係したくない。

「臓器」

まがまがしい響きを持つ言葉である。
見た目も重苦しい。
聞きたくもないし、見たくもない言葉だ。

「臓器」だけでも相当なインパクトがある。
「臓器林」となると、道に迷って入り込んだ林の木々から、臓器がたれ下がっているという、悪夢のようなおぞましい光景が浮かぶ。

「臓器」にかわる言葉がほしい。
「臓器」という言葉を口にしたくない。
考えたくない。

私の「臓器」について、考えたくないし、誰の「臓器」についても考えたくない。
できれば、一生それで通したい。

「私の臓器?なんですか、それ?知りません」

我が体内に「臓器」があることに、目をつぶっていたい。
考えると頭がヘンになる。
「臓器」は、私の部品だろうか。
部品扱いしたら、「臓器」が怒るのではないだろうか。
「臓器」が怒ったら、私は困ると思う。
機嫌よくしていてもらいたい。

と言って、私は、「臓器」の機嫌をとるために生きているわけではない。
「臓器」に大きな顔をされたら、面白くない。
たかが「臓器」ごときに、と言う気もする。

対応に困る。
扱いにくいやつらだ。

「臓器移植」がまた困る。
まあ、「医学の到達点」だろうとは思う。
ひとつの「夢の実現」だろうとは思う。

「月面到着!」
「おめでとう!」
「やったね!」

「心臓移植成功!」
「おめでとう!」と手放しで言う気はしない。
「やったね!」ではなくて、「う〜ん、そこまでやるんか」という感じだ。

「臓器」がなければ、非常にすっきりすると思う。
からだの中、空っぽ。
骨だけ。

頭が空っぽで、からだも空っぽ。
もちろん、「臓器移植なし」

いいんじゃないでしょうか。