喪中はがきが来る時期だ。
たいがいは友人知人の親が亡くなったという知らせだ。
昨日は、橋本先生の奥さんからの喪中はがきが来た。
先生は私の高校時代の担任で、この一月に亡くなっている。
奥さんが電話で知らせてくださったのを、喪中はがきを見て思い出した。
はがきに奥さんの字で
「何十年前からの楽しい年賀状保存しています。
長女様の写真、自画像など。
故人も楽しみにしておりました」
と書いてある。
子供の写真の年賀状を送ったこともあるし、子供の肖像や私の自画像を送ったこともある。
そして、年賀状には、いつもできるだけふざけたことを書いていた。
根が生真面目だから、ふざけたことを書くのには苦労した。
そんな私の年賀状を先生も奥さんも楽しみにしてくださっていたようだ。
ありがたいようなうれしいような、そしてなんとなくさびしさを感じさせる文章だ。
なぜさびしさを感じるのだろうか。
橋本先生が亡くなったからか。
夫を亡くした奥さんのさびしさを思うからか。
あるいは、私が先生に年賀状を出し続けた四十年という歳月を思うからか。
いずれにせよ、これは奥さんからのリクエストであると思った。
先生は亡くなられたけれど、年賀状は出したほうがよさそうだ。
先生に初めて年賀状を出した年のことは特別によく覚えている。
なぜか。
12月の何日だったか、学校へ行って教室に入ると、S君がニヤニヤしながら私に言った。
「おい、お前の年賀状、昨日来たぞ」