若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

イケニエ

小林和之著『「おろかもの」の正義論』

初めて読む人だ。
頭のいい誠実な人だと思った。
時々、このように、「私はこういう道筋をたどって考えています」とていねいに書く人がいる。
読んでいてわかりやすいとも言えるし、その人の考えの道すじをたどるのはしんどいとも思う。

考えるのは大変だ。
「結論」「事実」「真実」みたいなものを、ぱっぱと並べられた方がわかったような気になる。
小林さんはこの本で自分の考えを書き表した上、読者に、自分でちゃんと考えてくださいよと言っているのだろう。

小林さんが、日本は人をひき殺してもいい社会だ、と書いているのを読んで、自分でも同じようなことを考えたことを思い出した。

死刑で死ぬのは年10人ほどだが、交通事故では何千人だ。
死刑で死ぬのは事故みたいなもので、交通事故死は社会で認められた制度みたいなものだと思った。
努力しつづければ、近いうちに交通事故による死者が10人くらいになるなどと考えることはできないと考えるのはしんどい。

交通事故による死者は、我々の社会の繁栄と便利さのために悪魔に差し出したイケニエであると言っている人がいるそうだ。

昔、新日本製鉄のある工場で、毎年何十人の人が事故で亡くなっているという記事を読んで驚いたことがある。
鉄を作るためのイケニエなのか。

小学校4年生の時、学校から映画を見に行った。
学校から行く映画は、「文部省特選:綴りかた兄弟」とか「ウオルト・ディズニー大自然の驚異」、そして「おまけ」に「記録映画」という組み合わせが多かった。

その時の「おまけ」は、天竜ダムか佐久間ダムの建設記録映画だった。
ダイナマイトによる爆破場面が「良かった!」と思った。

映画の最後で、「ダムの完成の陰には、三十人の尊い犠牲がある事を忘れてはならない」というナレーションを聞いたとき、私は胸が締め付けられる思いがした。

「犠牲」すなわち「イケニエ」と思っていたのだ。
ダイナマイトのスイッチを押して、生き埋めになって死なねばならない役目の人がいると思ったのだ。

これは「ゴジラ」の影響だ。
直前に見た「ゴジラ」では、ゴジラを倒すため、青年科学者が「オキシゲンデストロイヤー」とか言う恐るべき新兵器を持って、自らの命を犠牲にして海底のゴジラに挑んだ。

「犠牲者」は「イケニエ」と書いたほうがいいのかもしれない。