若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

年賀状

一昨年、東京に引っ越されたお隣のご主人から年賀状が来た。
奥さんを亡くされて、八王子の息子さんのところに行かれたのだ。

「新年おめで度う御座居ます。
当方八十才半ばの高令となり、八王子郊外の息子宅の隣家で半独立の生活をして居ります。長年皆さんと御一緒に学び、仕事をし、御交際戴いた事が大変懐かしく、お世話になりました。年賀状のお送りも比で最後にし度いと思いますが、長年の御好誼、有難う御座居ました」

印刷された文面に続けて、私たちへの私信が二行、ボールペンでしたためられていた。
ボールペンの文字は、宛名も、文章も震えているのがはっきりわかる。

正月など、祭日にはいつも国旗を揚げておられたことをふと思い出した。
私たちが越してきた十数年前、お隣のご夫婦は、七十と六十くらいであった。
いかにも上品なお二人が、仲むつまじく、寄り添って暮らしておられる様子は、当時四十代であった私たち夫婦から見て、老後の理想の姿であった。

その私たちが、衝撃を受けたことがある。
何年か前、家内がお隣で話していたら、奥さんが、「あなたたちはいいわね。私たちみたいになったらもうおしまいよ」と言われたと言うのだ。

軽い気持ちで、「私たちはもうトシですよ」と言われたのかもしれない。
しかし、いろいろなことを考えさせられる言葉であった。

この、ご主人の年賀状は、「惜別の辞」と言うのだろうか。
この世を去る時期が近づいたときの文章として立派なものだ。

「長年皆さんと御一緒に学び、仕事をし」というところに、なんともいえない寂しさと、あたたかさを感じる。

「皆さんと御一緒に」という感覚がなかなかもてない。
私ひとりで生きている、とは思わないが、「御一緒に」とも思えないものだ。
安穏に暮らしているというのは、そういうことなのだろう。

友人の訃報を受け取って、「彼と一緒に青春を過ごしたんだな」と気づくのが精一杯だ。

この年賀状を何度も読み返した。
私たちも「皆さん」と呼びかけてもらえてうれしい。