若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

三年目

ここに書き始めていつの間にか二年たった。

去年は、1月14日に、「ちょうど一年たった」と感慨深げに書いているが、今年は知らない間に過ぎてしまった。
半年くらいでやめようか、とか、なんとか一年続けてやめようとか、いろいろ考えていたのであるが、今や何も考えず惰性で書いているだけだ。

書くのは苦にならないが、いったいなにを書いているのか。
口からでまかせ筆まかせ、見たり聞いたりしたことをそのまま書いたり、嘘八百をならべたてたり。

一番したいのは、笑いを取ることだろう。
無理して、すべっていることも多い、と自覚はしている。
しかし、笑いを取ろうとすると、かなりの気合が必要だし、注意力も必要だ。

何度も書いた、母が入っている施設のMさんは私のお手本だ。
90を過ぎても、当たり障りのない挨拶なんかするものか!という気迫があった。

ぼけるか突っ込むか二つに一つ。
どちらもできないなら死んだほうがまし。

この前の日曜に行ったら、Mさんは入院中だった。
1月31日で96歳。
言葉も出なくなったMさんが、お医者さんや看護婦さん相手に漫才できないのは残念と言うよりもったいない。

ここに書くようになって良かったと思うことの一つは、いろんなことを思い出すことだ。

笑いを取る、と言うと小学校の同級生K君を思い出す。
非常にひょうきんな子で、ヘンな顔をしたり、ヘンな格好をしたりして私たちを笑わせた。
私が高校のとき、ヤクザになっていた彼は日本刀で殺された。

複雑な家庭の事情があったようだ。
彼の家に遊びに行ったときのことを思い出した。

K君と私はコタツで漫画雑誌を読んでいた。
たしか「日の丸」という雑誌だったと思う。

お母さんが現れた。
子供にとって、どんな大人も「立派な大人」だ。
どこの家に行っても、そこの「おばちゃん」は、一家の主婦として堂々として見えたものだ。

K君のお母さんは違った。
消え入るような感じだった。

「おでん」を買ってきてくれたK君のお母さんは、コタツからだいぶ離れたところから、「おでん」の入った皿を畳の上に置いて私のほうへを押した。
日陰の身、というような感じだった。

無言であったように思う。
私におでんをすすめてくれた一瞬だけ鮮明に記憶に残っている。

私の記憶の中の一番さびしい情景だ。