長年の疑問が解けた。
DDTという殺虫剤にまつわる私の記憶に関する疑問だ。
記憶1。
私が小学一年生のとき全校生徒が校庭に整列させられた。
何かと思っていたら、保健所の人が来て噴霧器でDDTの粉を私たちの頭からかけた。
記憶2。
近鉄電車の駅の改札口で、駅に入ろうとする母と私に保健所の人が噴霧器でDDTをかけた。
うっすらと記憶にあるのだが、現実にこんなことがあったのか疑問に思っていた。
敗戦直後、衛生状態が悪くノミやシラミが多かったということは知っている。
1年生のとき、担任の先生はときどき「シラミ検査」をした。
私たちの髪の毛を調べたのだ。
シラミが媒介となる発疹チフスが大流行したという事実はその時は知らなかった。
ただ、子供の間でこんな歌がはやった。
「坊や、もうダメだ。発疹チフスのできそこない」
楽しい歌だった。
発疹チフス対策として米軍が強力な殺虫剤DDTを大量に使用したのは事実である。
しかし、小学校で生徒全員に頭からかけるなんて乱暴なことをするだろうか。
それはありうるかもしれないが、駅の改札口でだれかれかまわずかけることなどありそうもない。
私の記憶の間違いだろうと思っていた。
たいしたことではないので、「確認したい!」とも思わなかった。
ふと思いついて、インターネットで調べた。
ありました。
大阪駅の入り口で、噴霧器のノズルを背中に入れられて、DDTをかけられたと言う体験談を見つけた。
これで発疹チフスが防げる、サンキュー、という雰囲気だったそうだ。
近鉄の駅で、母と私がDDTを吹き付けられたのは事実だったのだ。
長年の疑問が解けてすっとした。