東大阪市では、市立小学校と中学校を、前期後期の二学期制にすることに決定した。
始業式や終業式が少なくなるので、授業時間を増やせるからだという。
東大阪市立小学校と聞いただけで懐かしくなるのは、私が東大阪市立小学校を卒業したからだ。
当時は、布施市だった。
私は三歳くらいのときに大阪市から布施市に引っ越した。
引っ越してすぐのことだ。
母が妹を抱いて外へ出たら、どこかのおばさんが話しかけてきた。
母はそのおばさんに、「加代子て言います」と妹を紹介した。
これが私の一番古い「記憶」だと思う。
近所には子供がたくさんいた。
うじゃうじゃいた。
当時の私から見て、子供は三階級に分かれていた。
「完全な大人である六年生」
「大きい子」
「私たちその他大勢」
あるとき、私は母から幼稚園に行くのだと言われた。
幼稚園!
大変良いところのように思えた。
晴れがましいことであった。
私は大喜びで、「その他大勢」の一人に、「幼稚園に行く」と言った。
すると、彼は、「ボクは小学校に行く」と言った。
衝撃であった。
幼稚園に行くより小学校に行く方がエライと直感した。
なぜ私は小学校に行かせてもらえないのだろうか。
おりこうちゃんであった私は、そういうことを言って親を困らせてはいけないと思って黙っていた。
小学校のことが話題になるようになった。
地域の小学校は、布施市立第四小学校だった。
この「第四小学校」が、私には「ライオン小学校」と聞こえたので、ますますすばらしいところのように思えた。
「第四」がなぜ「ライオン」になるのかというと、たぶん「ラ行」と「ダ行」の混乱が原因だ。
私が小学生になってからのことだが、ビンに張ってあるようなラベルを集めるのがはやった。
私たちは「デッテル」と言っていた。
小さな子は「レッテル」と言った。
私は、舌が回らなくて「レッテル」と言うのだと思っていたが、父が「レッテルが正しい」と言ったので驚いたことがある。
さて、大人である五年生や六年生たちが、第四小学校へ案内してくれることになった。
私は、「ライオン小学校」のケンラン豪華な建物を想像した。
凱旋門のような立派な門の前にはライオンの石像がある!
期待に胸をふくらませていた私は、第四小学校を見てがっかりした。
羊頭狗肉、名前負け、詐欺。
私の一番古いがっかりだ。