若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

「花」

昨日は、郡山城琉金之助君のライブ。
彼は、大和郡山市で三本の指に入るアマチュアギタリストである。えらく持ち上げると思われるかもしれないが、そんなことはない。
大和郡山市で三本の指に入る金魚」なら立派なものだが。

久しぶりのライブで、客はいつになく多く、客席の八割くらいが埋まっていた。
「客席の八割?八割?八?う〜ん、八人くらいということだな」と推測した人は、意地は悪いが頭が良い。

琉金君は非常にうまい人なので、安心して聞いていられるかと言うと、そうでもない。非常に難しい曲を演奏するからだ。いつも、一、二曲こける。演奏がとまってしまって、「すみません。間違いました」と言って弾き直す。
本人はバツが悪いだろうが、見ている方は楽しい。

昨日は、今回はかなり練習しました、と言うだけあって、はじめから安定した演奏振りで、今回はこけそうにないな、と期待せず聞いていたのだが、やっぱりやってくれました。(^o^)丿
それも、昨日のハイライトと言える曲でとまってしまった。
彼の知り合いの女性が、五月出産予定と言う、大きなおなかを抱えて来ていた。
琉金君は、彼女とおなかの赤ちゃんに捧げますと言って、「ベビーズアイ」とかいう曲を弾きはじめた。これがビシーッと決まっていれば、かっこ良かったのだが、あっけなくとまってしまった。
とまっただけならまだしも、よほど焦ったのか、「こんなことでは難産が予想されますネ」などと余計なことまで口走ったのはヒンシュクものであった。

最後に「花」という曲を演奏した。
岸部眞明さんというギタリストの名曲だ。

穏やかで、明るく落ち着いた曲だが、さびしい曲だ。
花を見るさびしさみたいなものを感じる。
花を見て、美しいと思っているとき、自分が確かにこの世に存在して生きていると思える。
しかし、当たり前の話だが、花がないと花を見ている自分はない。この場面の主人公は自分ではなくて花だ。
さっきまで、確かにこの世に存在して堂々と生きていて、この目ではっきり花を見ている思っていた自分が、なんだか頼りないもののように思えてくる。
そういう、私一人ではつまらんな、と言うようなさびしさではないかと思うが、あまり深く考えると頭がこんがらかるのでこの辺でやめよう。
琉金君の演奏にもっと深みがあれば、私ももっと深く考えられるはずだが、ここでやめざるを得ないのは彼の責任だろう。