若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

れんこんばら3

また、きのうの方からメールがきた。

あくまで「れんこんばれ」が正しいと言い張っておられる。
私が、きのうあれほど理路整然と、義務教育を修了したものなら誰でも納得できるよう、わかりやすくていねいに、条理を尽くして「れんこんばら」が正しいと説明をしたにもかかわらず、ますますかたくなに、ますます独善的一方的偏執的に自説を振り回しておられる。
なんという人であろうかと読み進んで驚いた。
「負けた!」と思った。

なんと、この方は、私と同じ東大阪市だが、「大蓮」という地域の小学校に通っていたというのだ。
「大蓮」と書いて、今は「おおはす」と読む。

「今は」とはどういう意味か、と不審に思われる方も多いであろう。
今も昔もない。「大蓮」と書いて「おおはす」と読むのは当たり前ではないか。

残念ながら、河内はそんな常識が通用するような地域ではおまへんのや。
なめとったらあかんで!
「おおはす」は新しい、市民的読み方なのだ。
三十年ほど前、東大阪市が浅はかにも無理やりそう読ませるようにしたのだ。

伝統的読み方は「おあつじ」である。土地の人の中には「おばつじ」と言う人もいた。
「大蓮」と書いて「おあつじ」「おばつじ」とは、「難読地名」というより「珍読地名」だ。保存すべきであった。

さて、私は、「新喜多」という地区にいた。
「しぎた」だ。どうせ、「鴫がたくさんいる田んぼ」ということで地名になったのだろう。それをおめでたい字で「新喜多」と書くようになったのだろう。
面白くもなんともない地名だ。

「新喜多=しぎた」と「大蓮=おばつじ」では、どう考えても「おばつじ」が強い。圧倒的に強い。
「近くに蓮根畑があった」という程度ではないのだ。
地名が「大蓮」だ。「おばつじ」だ。
どちらが蓮根かわからないような人々が住む地域なのだ。
逆らわないことにします。

「おばつじ」の小学生が「れんこんばれ」と言っていたのだ。
それできまりだ!