若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

漣健二さん

「さざなみけんじ」さんが亡くなった。

私、あるいは私たちの世代にとって、「特別の人」だと思います。
私が中学時代に聞いた音楽は、アメリカのヒット曲を日本人歌手が日本語で歌ったものが多い。
そのほとんどが、「訳詞:漣健二」だった。
当時の印象としては、日本人が歌っているアメリカのヒット曲はすべて漣健二さんが訳している、という感じだった。

「漣健二ってどんな人だろう?」と思った。
これだけたくさん訳しているのだから、すごくおじいさんの詩人だろうと想像していた。

「訳詞」の時代が終わって、漣健二さんのことも忘れてしまった。
何年か前、「漣健二というのは、楽譜の会社、シンコー出版の社長だった」ということを知って驚いた。

最近、『日本ロック雑誌クロニクル』という本を読んで、漣さんについて少し知ることができたけれど、この人のことはもっと知りたい。

最初の訳詞は、「ステキなタイミング」だそうだ。
私が初めて買ったレコードは、「九ちゃんとパラキン」というLPで、それに「ステキなタイミング」が入っていた。

「九ちゃん」は、坂本九、「パラキン」は、「ダニー飯田パラダイスキング」というグループである。
「パラキン」は一時人気のあったグループで、坂本九のバックで歌ったりしていた。

テレビの歌番組で、「パラキン」のメンバーがカメラに背を向けて、歌いながら遠ざかって行って、いっせいにぱっとカメラに振り向くところで、タイミングを間違えて、一人だけ、ニッカー!と笑って振り向いて、非常にばつの悪そうな顔をしていたしょーもないシーンをはっきりと覚えている。

生放送だから、結構そういうことがあって、私は楽しみにしていたのである。

漣健二さんが、シンコー出版の社長だと知ったとき、なんとなくうれしかった。
漣さんの訳詞にずいぶん楽しませてもらったわけだが、私はギターを習いだしてから、シンコーの楽譜をたくさん買っている。
少しはご恩返しができたというものだ。