若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

米寿の会

昨日は高校のときの美術の先生の米寿を祝う会があった。

私たちの高校の美術部は、野球で言えば「甲子園常連校」といった雰囲気で、いやでも絵に燃えるようになって、燃えたころというのは懐かしいからOB会も盛んである。
先生の喜寿とか古希とか言っては集まる。

昨日は80人ほど集まった。
若手で40前、古い人だと80前だ。
先生は、数年前お会いしたときのようなびっくりするような若さはなく、ややぼんやりしてこられたようだが、90歳近いことを思えば立派なものだ。

毎回、誰かが死んだという話が出る。
昨日も一年先輩のAさんと二年後輩のKさんが亡くなったことを聞いた。

Kさんは印象に残る女性だ。
美術部で私が一番感心したのはKさんの絵だ。
立派な堂々たる絵だと思った。

卒業後音信がなかった彼女から、二十年ほど前突然手紙が来た。
押入れを片付けていたら、私が描いたスケッチが出てきて懐かしくなったので手紙をくれたという。

うれしくなって読み始めた。
懐かしい思い出や、私の絵がいかにすばらしく私がどれほどステキなあこがれの先輩だったかというようなことは書いてなかった。

回転木馬が止まらない」と書いてあった。
「白い風が吹き抜ける」とも書いてあった。

なんじゃこれは?
返事を書かないわけにいかんので、近況報告と高校時代の思い出を書いて送った。
すぐ返事が来た。
「だれもいない公園のブランコがゆれてます」と書いてあった。

相手にしてられない。
その後彼女から年賀状が来るようになった。
市民運動をしているみたいなことが書いてあったり、子育てで忙しいと書いてあったりしたが、二、三年前から来なくなって、さびしいようなほっとするような気持ちだったが亡くなったと聞くとさびしい。

彼女の仲良しだったUさんのことを思い出した。
私たちは美術室で夜遅くまで絵を描いた。
女子は8時までという不文律があって、8時になると男子が最寄駅近くの人通りの多い道まで送って行った。

その夜も女子を送ってから絵を描いていたら9時ごろ美術室の戸が開いてUさんが入ってきた。
忘れ物かなと思ったが、洗面器とタオルを持っている。
聞くと、家の人に風呂に行くといって絵を描きに来たという。

その後のことは思い出せないが、洗面器を持ったUさんの雨降りお月さんみたいな笑顔ははっきり覚えている。