ついに国会に姉歯さんが登場した。
国会での「喚問」を見るたびに、私も一度でいいからあそこに呼ばれて、議員さんの前でエレキギターを弾いてみたいものだと思う。
晴れ舞台とは言えないかもしれんが、大舞台だ。
さて、姉歯さんだ。
今回の耐震強度偽装事件で、姉歯さんが記者のインタビューを受ける場面を初めて見たとき、この人はおかしい!と強く思った。
性格破綻者というか夢遊病者というか、この人が何をしたにせよ、この人の責任ではない、あるいはこの人の責任を問うことはできないという印象を受けた。
善悪の彼岸に立つ、という感じだった。
次に、姉歯さんの書類を審査した会社の社長が登場した。
偽装は見逃したが、見逃した責任はないと言った。
「やり手」という感じがした。
「やり手」が登場したら要注意だ。
必ず「やり手」に「やられた人」が存在する。
姉歯さんはやられた人かもしれないと思った。
次に、マンションを販売した「ヒューザー」の社長、建築した木村建設の社長、なんだかわからんコンサルタントが登場した。
皆さんのツラガマエ、「やり手」どころではないですね。
鈴木宗雄さんを思い出した。
「敵にして恐くなくば味方にして頼もしからず」
敵に回したらこわそうだ。
味方になってもらいたいとは思わない。
そのときは頼もしくても後が大変だろう。
こういう人にとって、人間は敵か味方かだ。
自分より強いか弱いか。
単純明快である。
原理主義は強い。
ふつうの人間は、敵にしたところでこわくもないし、味方になってもらっても頼もしくない。
それでよろしい。
敵に回したらこわそうだと思える相手には近づかないのが一番だが、姉歯さんは近づいて引きずり込まれたのだろうか。
今の時点では、姉歯さんが被害者の一人のような気さえしてくる。
あの人たちが寄ってたかって姉歯さんを食い物にしたのかもしれない。
マンションを買った人たちと似たような立場かもしれない。
カネがほしかったり、超お買い得品を探したりするのは当たり前だ。
「やり手」はそれを狙っている。
人を見る目が大事だ。
耐震強度より対人強度だなどと不謹慎なことを言うのはやめよう。