若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

宗教とは?

住職のための月刊誌『寺門興隆』。
「緊急提言。続発する自然災害は宗教の問題だ。山折哲雄

面白そうである。皆で祈れば地震津波も恐くない、というようなことが書いてあるわけではないだろう。阪神大震災の時、リビアカダフィ議長が、「この地震は、経済に魂を売り渡した日本に対して下された天罰である」と宣告した。単純明快な宣告に感銘を受けたが、その後世界各地で起きた地震のとき、「これは経済に魂を売り渡した中国に対して下された天罰である」とも、「歌って踊って暮らしていたメキシコに対する天罰である」とも宣告しなかったのでがっかりした。
「緊急提言」は、人間の力でどうしようもない自然災害の時こそ宗教の出番だという話かもしれない。

ペットの葬儀を執り行っていたお寺に税務署が課税した。税務署は、「ペット葬」は一般の業者もしていることで、宗教行為ではないという。お寺は、人形供養や針供養が宗教行為として認められているのに、ペットの葬儀が認められないのはおかしいと主張している。

どちらももっともである。イギリスの百科事典『エンサイクロペディアブリタニカ』には、だいぶ以前に「宗教」という項目がなくなったそうだ。説明しにくいんでしょうな。

「ペット葬」が宗教行為かどうか以前に、「ペット」という言葉になじめない。「愛玩動物」もぎこちない。うまい日本語がないようだ。
生き物を「ペット」というと、なんか失礼な気がする。人間のおもちゃみたいな感じだ。私が「日本語の人」だからで、「英語の人」ならそうではないかもしれない。

おもちゃ扱いしている人もいるだろうし、心の慰めにしている人もいるだろう。人の心を慰めてくれているのなら、犬や猫は宗教行為をしていると言える。犬や猫は宗教者か。

テレビで犬の試験をしていた。飼い主が散歩に連れて行って、途中で「う〜ん!」とか言って倒れるふりをする。犬はご主人様の一大事にどうするかというのだ。
私は、100匹のうち、何割かは急を知らせに家に駆け戻る犬があると思ったが、ゼロだった。中には、倒れているご主人におしっこをかけるようなとんでもない犬もいた。

見捨てられた飼い主達は口をそろえて、「さびしいです」と語っていた。
この世のはかなさ、無常を悟らせるとは、犬たちはまことの宗教者である。