今回の地震と津波の被害を、石原都知事が、「日本人の我欲に対して下された天罰」みたいなことを言ったとき、リビアのカダフィ大佐を思い出しました。
カダフィ大佐は、阪神大震災のとき、「これは魂を経済に売り渡した日本国民に対して下された天罰である」と言ったんです。
このお二人、発想か体質か、なんかが似てるんでしょうな。
ゴーマンで無慈悲で、自分に甘く他人に厳しい、敵にまわしたくない人ですよ。
逆らってはダメ。
もみ手をして腰を低くすり寄っておくのがいいと思います。
今日テレビを見てたら、石原さんの「天罰発言」に共感を覚えるという人が多かった。
「一理ある」という感じだそうです。
そうどすか。
カダフィ=石原発言も、それに対する共感も、「そうどすか」。
口から出まかせが人類の基本で、何を言うかわからんし真剣に受け止める必要もないと思います。
天罰とは他人に下されるものである?
私は、もし石原さんやカダフィさん自身が、突然家やカネなど全財産を失い、愛する家族を失うような悲劇に見舞われ、「ああ、これは我欲にまみれて生きてきた私に対する天罰です!」と髪の毛をかきむしって叫んでも、「そうだ!」とは思いません。
「我欲?いいじゃないか、人間だもの」
ここは相田みつをさんの出番でしょう。
魂を経済に売り渡したり我欲優先に対して地震が起きるなら、一日中というか年中というか、人類誕生以来地震ばっかりですよ。
「天罰」というような恐るべき言葉を、カダフィさんや石原さんは口に出来るような人物なのであろうか。
「天罰」とか「仏罰」とか言う言葉を口にできる人ような人がこの世にいるのであろうか。
私の知り合いにはいません。
友人知人親類、誰もいませんよ。
言えるものなら言ってみろ。
誰が口にしても共感なんかしない。
「やかましー!黙ってなさい!」
イエスという人はえらかったんじゃないでしょうか。
イエスの弟子が、目の見えない人を指して、「あの人の目が見えないのは、何の罪ですか。あの人自身の罪ですか。親の罪ですか」と聞いたとき、「誰の罪でもない。神の存在を知らせるためである」というようなことを言って、すぐに目が見えるようにしてあげたそうです。
これなら神に感謝ですね。
地震とか津波の被害を天罰と言われたんじゃ、神様も迷惑だと思います。