あかちゃんには威厳が備わっている。
この世でもっとも弱い存在とも言えるのであるが、そんな雰囲気は見せない。
「よろしくお願いします」という感じではない。
強がっているのでもなさそうだ。
泰然自若。
権威あるもののごとき態度だ。
以前、画集でルネッサンスの頃の「聖母子像」を見ていた。
作者は誰だったか忘れた。
解説に、「生まれたばかりのイエスなのに、『救世主』として権威あるもののように描いている」と書いてあった。
この人はあかちゃんを知らんなと思った。
イエスでも誰でも、あかちゃんは権威あるもののごとき存在だ。
権威ある、とはどういうことか。
威張ってるのに近いが威張ってるのではない。
恐いのに近いが恐いのでもない。
前に出ると、どういうわけかわからないが身が引き締まる思いがする、という感じだろう。
赤ちゃんの前に出ると身が引き締まるように思う。
いっちーのあかちゃんを喜ばせようと、私はこの端正な顔をゆがめてヘンな顔をした。
端正な顔をヘンにするのはとても難しかったが、あかちゃんは少しだけ笑った。
「私を喜ばせようというあなたの努力をアプリシエイトします」という感じだ。
ふつう、芸をしたものがカネをもらうのだが、あかちゃん相手だと、くどくなりますがこの端正な顔をムリしてゆがめて笑ってもらって、なおかつこっちがカネを払わなければならないような気になる。
圧倒的にあかちゃん有利だ。
子供が小さかった頃、よく近所の神社に連れて行った。
鳩がいたし、池には亀がいた。
神社に養護施設の子がラジオ体操をしに来る。
なんと呼ぶのが正しいか知らないが、「知的障害」の子供、というより若者達だ。
てんでんばらばらにラジオ体操をする。
一人体操をしない子がいた。
二十歳くらいの女の子が、静かに立っている。
ラジオ体操の輪の中で、少しうつむきかげんで、どこを見るともなく穏やかな表情で立ちつくしていた。
このときも、私にはその子が権威あるもののごとくに思えた。
私の権威感覚がおかしいのかもしれないが、それほど狂っているとも思えない。