若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

「音声は変えてあります」

テレビに、ウラ社会の事情に詳しいという触れ込みの人が登場して、暗がりの中でヘンな声でなんということのない話をすることがある。
あれはいったいなんですか。
顔を隠し声も変えてあるなら誰が出てもいっしょだ。その人からじっくり話を聞いて、アナウンサーがまとめてくれるほうがいい。
あんな子供だましのやり方で真実味を出そうという根性が気に入らない。
視聴者をなめている、と思っていたらあれは非常に伝統ある手法のようだ。

伊藤正敏著『日本の中世寺院』
中世の寺院に関する常識的見方を打ち破ろうとする著者の意欲が伝わってくる。私に中世の寺院に関する常識がないのが申し訳ない。

中世の東大寺興福寺延暦寺などは我々が思っているような「宗教組織」ではない。宗教者や宗教学者と呼べるお坊さんはごく少数で、寺にいる大多数は僧侶と称する商売人や職人や金融業者だった。
というようなことが書いてあるのだが、読者は、寺のことを書くのに仏教思想について全然触れないのはおかしいと思うであろう。
「その違和感は本章できれいさっぱり解消してみせよう」
気合が入ってます。

1063年、興福寺の僧静範らは成務天皇陵を暴き盗掘を行った。
鎮護国家を役目とする興福寺の僧侶が天皇陵を盗掘するとは前代未聞!などと驚いてはいけない。金儲けのためである。お仕事なのである。
まあ、あらっぽいことはたしかだ。

鎌倉幕府高野山に命令している。
「大衆蜂起ならびに深更の衆会を停止すべき事」
深夜の集会禁止。鎌倉から見ても高野山は危険な集団だったようだ。

鎌倉幕府は、僧侶が覆面で顔を隠すことも禁じている。
我々の世代だと、学園闘争のときのヘルメットにタオルを思い出す。

延暦寺興福寺の「深夜の集会」の記録があるらしい。
集まった僧は覆面をしている。
そして、発言するときは鼻をつまんだというのだ。
「音声は変えてあります」

誰が発言したかわからなくする技術である。延暦寺興福寺はよほど悪いことを考えてたのだろうか。少なくとも、サラ金や業界の談合組織程度のことはしていたのだろう。
ヤミ金暴力団まではどうか。
興福寺に行って聞いてみよう。