若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

にぎやかなお通夜

朝日新聞に、「にぎやかなお通夜」を詠んだ短歌が紹介されていた。
「他人の死」はあくまで「他人の死」だから、よほど若い人が亡くなったのでない限り、お通夜も葬式も涙一色ではない。

大阪に住んでいたとき、向かいのKさんのおばあさんが亡くなった。
Kさんは長年子ども会の世話役をしていて顔が広い。
子ども会関係者が大勢集まったけれど、当然とは言えおばあさんをしのぶ人もなく、爆笑につぐ爆笑で、こんなお通夜は珍しいと思った。

Kさんは小さな工場に勤めている地味な人なのだが、子供会のために生まれてきたみたいな人だ。
子ども会の才能がある。
子ども会の帝王である。

長女が生まれた年、Kさんがウチと道路を隔てたガレージで子供みこしを作り出した。
皆で作るはずが、誰も手伝いに来ないようだ。
毎日深夜までKさん一人黙々と作っていた。

Kさんの黙々は良いのであるが、金づちはトンカチうるさいし、電動のこぎりもうるさい。
娘が生まれたばかりの我が家にとって実にメイワクで近所の人から同情されたが、何しろ相手が子供みこしだから文句は言えない。

ようやく完成した子供みこしを見て感動した。
本格的伝統工芸的宮大工的できばえであった。
よく一人でこれだけのものが作れたものだ。
私はKさんを許した。

しばらくして私も会を手伝うことになった。
お向かいが帝王だから逃げるわけに行かない。

夏祭り。
班ごとに店を出すのだが、わが班はKさんの意見で「うどん屋」をすることになった。
大きな釜をはじめ必要なものは全部Kさんがそろえた。
会場の設営、道具の配置、すべてKさんの指示通りにやるだけだ。
完璧な指示であった。

次の年、Kさんが今年もうどん屋をやろうと言ったら、何人かの人が反対した。
うどん屋は人手も手間隙もかかりすぎる、他の班のように缶ジュースでも売るのが楽でいい。
私もそう思った。

Kさんがおもむろに口を開いた。
これは何のためにやるのか。
日ごろ近所にいながら顔を合わすことも声をかわすことも少ない我々の親睦を深めるためではないか。
人手と手間隙かかるのがいいのだ。

口先だけでなく人の何倍も働く帝王Kさんに言われたら全員黙っている他ない。
以後、我が班はうどん屋であった。

あれから二十年、子ども会の帝王Kさんが、今では老人会の帝王として活躍しているかどうかは知らない。