若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

腕時計

朝から土砂降り。

アウトドア派でないおしゃれなシティボーイである私はこういうときしか大自然の驚異を感じない。
というか、ちょっと激しく雨が降ったり強く風が吹いたり雷が鳴ったりするだけで大自然の驚異を感じる。

我が家の前の道路はゆるやかな坂道である。
道路わきの溝を雨水が勢いよく流れているのも大自然の驚異だ。

こんな私がアマゾンやヒマラヤに行ったら、呆然とするだけで大自然の驚異なんか感じている余裕はないと思う。
家にいる方が大自然の驚異を感じられていい。

朝日新聞の記事。
日本の時計会社が高級腕時計に力を入れているそうだ。

腕時計には関心がない、というより使わない。
休みの日に人と会うような時だけ腕時計をする。
高校の頃はしていたと思うが、腕時計を使う習慣がつかなかった。

中学の入学祝にセイコーの腕時計を親が買ってくれた。
しかし、学校へ腕時計をしていくのは禁止されていた。

中学校には幼馴染のA君をさそって通った。
A君もセイコーのを買ってもらっていて、ある朝私に見せた。
文字盤の字を指して、こういうのが書いてあるかと聞いた。
書いてないと答えると、「それ、安もんや!」と言った。
おばさんが、「これっ!」と非常に困った顔をしたので気の毒に思った。

高校の美術部の友人B君は文字盤をはずして使っていた。
そのほうがかっこいいからと言って私の文字盤もはずしてしまった。

長持ちしたが結婚してから動かなくなった。
一つはいるだろうと思って当時としては激安の時計を買った。
いくらだったか忘れたがあやしげな「なんでも激安店」で買ったのだから激安だったはずだ。

今使っているのは父の形見だ。
私は腕時計は日常使わないので、形見としてはネクタイがいいと思っていた。
ところが納棺の時、妹と家内が「これも」とか言ってネクタイを棺桶に入れてしまった。
私は、「うわっ!」と思ったが、棺桶の中で安らかに眠る父の胸に置かれたネクタイを取り戻すのもどうかと思ってあきらめたのであった。

腕時計で勝負する気はないけれど、「父の形見の腕時計」は強いですよ。