若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

訃報

昨日、散髪屋のおやじが、「○○さん亡くなったな」と言ったとき、誰のことかなと思った。

小学校でいっしょだった○○君のお父さんだと聞いて驚いた。
90歳だから驚くほどのことではないが、亡くなる何日か前に会っている。

顔を見るたびに、元気さに感心していたが、先日はさすがにおっちゃんもトシだなと思った。
私に気づいて、「おお!」と笑いながら手を上げるのはいつもと同じだったが、身体が少し小さくなったようで声にも張りがなかった。
年齢相応であると思えた。

家で倒れて病院に入って翌日亡くなったそうだ。
いい死に方だ。

このおっちゃんのことは何度か書いた。
野球のコーチをしてくれたり、大阪球場甲子園球場に連れて行ってくれた。

「自動体重計」や、トラックの積荷の重量を計るはかりや、硬貨の枚数を数える計数機を考案したりしたアイデアマンである。
三十年ほど前にもらった自伝には、その頃のことを、「もうかったネ!」と書いてあった。

おっちゃんが市会議員の選挙に出た時はびっくりした。
市会議長も勤めた。

何年か前、近所に大阪府の技術開発支援センターができた。
私はたまたまある異業種交流会の会長をしていて落成式に出た。
おっちゃんも出席していて、私を見つけると、「おお!若草君!えらなったんやな〜!」と大いに喜んでくれた。

回り持ちの会長ですとは言わず、私はえらくなったふりをしていた。

子供時代に周囲にいたおっちゃんのなかで、このおっちゃんが一番記憶に残っている。
子供の時から色々ふれあうことが多かったということだ。

近所の子とふれあうおっちゃんは少なかった。
同級生や近所の友達のお父さんで、顔を見たことがない人が何人もいる。
むつかしそうな顔だけ覚えているお父さんがほとんどだ。
おっちゃんとはそんなものだと思ってた。

おっちゃんは寂しからずやという感じであるが、今度亡くなったおっちゃんは寂しくなかったんじゃないでしょうか。