朝、家を出るといつも電線を見上げる。
鳥がよくとまっている。
鳥がとまっているとうれしい。
鳥が電線にとまってるのは好きだ。
木にとまってるよりいい。
細い電線にとまってると、いかにも「とまってます!」という感じがする。
「鳥がいる!」と強く思う。
電線にとまってるのはうれしいが、糞を引っかけられそうな気がするので、鳥がいるときは電線の下は歩かない。
かしこいでしょ。
今朝は、カラスとキジバトが4、5メートル間隔でぽつんぽつんと何羽もとまっていた。
ちがう種類の鳥が、互いに知らん顔で黙ってとまってるのは一段といい感じである。
互いに干渉せず尊重しあってるように見える。
鳥だからそう見えるのか。
知らない同士がエレベーターで乗り合わせたように、気まずい沈黙なのかもしれない。
鳥の顔は哲学的だ。
世の中を超越しているように見える。
ピーチク鳴く鳥は哲学的ではない。
カーカー鳴くのはぶち壊しだ。
キジバトみたいに、「ク〜」と低く鳴くのはよろしい。
考え深そうな鳥だと思う。
人間はダメだ。
「ク〜」といったら、おなかをすかせてるなと思われるだけだ。
「ク〜」はやめたほうがいい。
とにかく、電線の鳥はよろしい。