若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

『日本思想という問題−翻訳と主体』

若草鹿之助商店面白くなさそうな本を読む事業部営業報告。

目次を見る。
「翻訳の主体・乗り継ぎする主体」「存在被拘束性としての日本の思想」「テレサ・ハッ・キュン・チャの『ディクテ』と回帰なき反復」
手ごわそうである。

著者のコーネル大学教授酒井直樹さんは、「はじめに」でこう書いている。
「主体」という用語そのものがサブジェクト(あるいはスジェ、ズビイェクトなど)の翻訳であり、またサブジェクト、スジェが、ギリシャ語のヒュポケイメノンの翻訳であることが広く知られている。

ほんまやな〜?
ぜったいやな〜?
駅前で聞いてくる。
広く知られてなかったらしばくで。

コーネル大学教授相手にそんなこと言っていいのか。ここに書いているのは広く知られてないからだいじょうぶだ。しかし、最初にこういうことを書いてくれると、読む気がすっかりなくなるので助かる。

次行こう。
『ヴィジュアル・アナロジー:つなぐ技術としての人間意識』

新聞の書評で、「知の最前線」みたいなことを書いてあったので、私より前に誰かいるのかと思って買った。ふざけた本だ。
「知の最前線」というより、「知の寒冷前線」だと思う。

著者バーバラ・M・スタフォードは、「伝説にさえなりつつある驚異の博識」の人で、シカゴ大学美術史学科WBオグデン殊勲教授。殊勲教授とは?
訳者の高田宏さんは首都大学教授。
著者と訳者のどっちがふざけてるのかわからん。

絵などの図版がたくさん出ているが、作者、作品名は日本語にしてない。
フェルメールの絵には、「Jan Vermeer」、英語の題、「Oil on canvas」と書いてある。どういうつもりじゃ。

ルビが振りまくってある。無茶苦茶振りまくってある。
「博識家」には「ポリマス」と振ってある。
「赤の他人」には「エトランゼ」
「籐椅子」の「籐」には「とう」
「アナロジーは・・・神秘な妄誕に堕していった」の「妄誕」は、「およずれごと」と読むそうです。

どんな本でも一つくらいとりえはある。アメリカの顔文字に比べて、日本の顔文字は感情の種類が豊富で素晴らしいと書いてあった。アメリカの顔文字を初めて見た。なぜか横向きになってる。

:-)

これが笑顔?なるほど、日本の勝ちだ。
今日紹介した三人の教授達は、気があうと思う。私はのけ者です。