朝日新聞に、高級腕時計が売れていると書いてあった。
写真が出ている。高級そうだ。数字がでたらめにならんでいる、「クレージーアワーズ」という時計もある。
高級腕時計を一度だけ実際に見たことがある。電車で、前に座った二人組みの男性の一人が、「コレ、40万円や」と言って見せびらかしたときだけだ。
いや、ひょっとすると、もっと見ているのかもしれない。私の知り合いで高級腕時計をしている人。言ってくださいよ。わかりませんので。
腕時計はふだん使わない。
いちおう、持っている。
中学入学の時、親に買ってもらったのを長年使っていた、というか長年持っていた。動かなくなったので安物を買った。今あるのは、父が使っていた腕時計だ。形見の品である。ほとんど家に置いたままだ。腕時計がなくて不便を感じたことはない。
腕時計をしない人は珍しいかもしれない。先日、某金融機関の人と話をしていたとき、支店長が運転免許を持っていないといった。
「え〜っ!それは珍しい!」と驚いたら、その人はにやっと笑った。
「若草さんみたいに、ケイタイ持ってないほうが珍しいでしょ」
それはない。ケイタイを持ってない人なんかいくらでもいるはずだ。いや、いまどきケイタイを持ってない人ないですよ。運転免許を持ってない人と、ケイタイを持ってない人とどっちが珍しいか激しい言い争いになった。互いにデータに基づくことなく言い合うだけだから勝負はつかなかった。
では、どっちが不便か。私は、仕事をする上で運転免許を持ってないほうが不便だと思う。その人はケイタイがないほうが不便だと言う。
運転免許を持ってないほうが不便か、ケイタイを持ってないほうが不便か激しい言い争いになった。
これも、データがないから勝負なし。
いずれダイヤをちりばめた200万円位する高級ケイタイが出るだろうか。
人はなぜ高級品を買うのか。
私のギターは、まあ高級品だ。
ヘタでも、ギターは同じクラスの中高生に手が出ないくらい高いのを買って、うらやましがらせようという浅ましい考えである。
私のギターは、置いておくと盗まれる可能性がある。
センベー君のギターは、置いておくとごみとまちがえられて捨てられる可能性がある。
しかし、残念ながらギターは持っているだけでは仕方がない。
高級品を持つなら腕時計ですね。