きのうは、「いろえんぴつ画講座」
宿題の、「自画像」のできばえやいかに?
おお!
みなさん、それぞれにりっぱなもんでした。
気合が感じられました。
皆で作品を見せ合う。
昔読んだ本の一節を思い出す。
「人生で最大の喜びは、各自が作った土まんじゅうを持ち寄って、互いに見せ合い、そこに心を通わせて語り合うことである」
まあ、心を通わせて語り合うのはなかなかですが。
自分の作品を見せて、ギターの発表と全然違うと思った。
絵は、出来上がったのを見せる。
他人に見られても、これ以上悪くなることはない。
ギターは違う。
ギターの発表会で、ステージに立つ。
このとき、理屈の上では、私がカンペキに演奏する可能性無きにしも非ずだ。
まあ、経験上、そういうことはありえない。
絶対にこけるであろう。
しかし、私を知らない人が、ギターを持ってステージに立つ私を見たら、上手に弾くと思うかもしれない。
その場合、私の持ち点は、原則として100点。
演奏を始めると、減点が始まる。
まちがった。
マイナス5点。
またまちがった。
マイナス10点。
弾く方も聞くほうもスリル満点だ。
まちがうところが決まってるならまだいい。
どこでこけるか予測不能だ。
エンエンと続く減点。
絵は違う。
見せている間にこけて減点ということはない。
ぱっと見て、60点と思えばだいたい60点だ。
100点から、どんどん減点されて60点、というのと、はじめから60点、というのでは、心理的にかなり違う。
絵を見せるのは、スリルがない。
私のギターは、減点のスリルを楽しんでいるといえるかもしれない。
S君に、「一枚描いたら疲れ果てる」と言ったら、「これ描くのに、どれくらいかかった?」と聞かれた。
「2時間」
「・・・そら、つかれるわ」
もっと手早く描かねばならないようだ。
見るのと同じくらいに腕が動かないといけないそうです。
そういえば、S君は、高校のときから描くのが早かった。
元天才少年S君は、小学5年生の時、親におねだりして、石膏像を買ってもらって、部屋で石膏デッサンに励んでたそうだ。
親に石膏像をおねだりする小学生。
かわいくないな。