「男は、40を過ぎたら自分の顔に責任がある」
リンカーンの有名な言葉だ。
責任あるかしれんが、自分の顔について、人様からとやかく言われることは、まずないだろう。
それを良いことに、私は「イケメンナイスミドル」を名乗ったり、「自画像男前派」を結成したりしている。
三十年来通っている散髪屋のおやじも、リンカーン主義だ。
「商売柄、いろんなお客さんの顔見てきたけど、やっぱり顔やなあ。顔に出るなあ」
私の顔をじっと見て、「悪いことしてない顔やな」
まあ、あんまりしてません。
と思います。
顔に責任があるのが40からだとする。
顔を見分けることが出来るようになるのも40くらいからでしょうか。
私も、仕事の上で、いろんな人と出会ったが、若いころは、相手の顔のことなんか気にならなかった。
50を過ぎたころ、取引先の人に、ある会社を紹介された。
優良中小企業ということだった。
その会社の社長の顔を見た瞬間、「この人とは関わりたくないなあ」と思った。
そして、そんなことを思った自分に驚いた。
苦労した人だ。
痛めつけられた人だ。
負けずに這い上がった人だ。
やるかやられるか、という人だ。
不思議だったのは、私はそういう人たちと、若いころから商売上の付き合いがあるのだ。
しかし、顔がどうこうと思ったことはない。
その社長の顔を見て、関わりたくないと思ったとき、私は、トシをとったなと思った。
さびしいような気もした。
淀川長治さんの、私はきらいな人にあったことがない、というのはいいセリフだと思う。
顔に人生を読み取るのもいいけど、毛嫌いせずつきあってみるほうがいいかな。
いや、やっぱりやめとこ。