若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

愛の鞭

「愛の鞭」というのは、いつごろからある言葉なのだろうか。

「愛」も「鞭」も、かなり強い印象を受けるから、「愛の鞭」となると、強烈な言葉のはずだが、全然気にならない。
適当に使われて、手垢にまみれているからだろう。

誰が使い始めたのだろう。
競馬関係者か。
奴隷関係者か。
猛獣使い関係者か。
サドマゾ関係者か。

鞭の常用者というとこんなところだろう。
「愛の鞭」というからには、サドマゾ関係者が使い始めたのではないかと考える人も多いと思うが、私はちがうと思います。

私は、「愛の鞭」を振るわれたことも振るったこともない。
乗馬クラブに入るまで、鞭とは無縁の穏やかな人生を歩んできた。

クラブで、鞭を買うように言われたとき、いやな感じがした。
奈良を代表する動物愛護者の私が、馬を鞭でたたく?
とんでもない話だ。

馬を歩かせたり走らせたりするとき、足で合図を送るのだが、馬が反応しないとき、鞭を使うということである。

ところが、今まで鞭を使ったことがない。
よく訓練されて、毎日毎日素人を乗せ続けている馬だから、素人の合図なんかまどろっこしくて待ってられないのだ。

先生が、「それでは」といったとたんに、鞭はもちろん合図を送るまでもなく歩き出す。
しばらく歩いて、先生が、「それでは」といったとたんに、鞭はもちろん合図を送るまでもなく走り出す。

よほどボーっとした馬で、先生の言葉に反応しなくても、前の馬が走り出すと、つられて走る。
私は、いまだに馬が私の命令で動いているのかどうかよくわからない。

さて、必要のないものを持っていると、よく置き忘れる。
馬に乗ってから、鞭を持ってないことに気づいたことも何度もある。

昨日、乗馬クラブに行って、ロッカーを開けたら鞭がなかった。
先週、どこかに置き忘れたことさえ忘れていたのだ。

なんたることであろうか。
がっくりして、女性職員に鞭の忘れ物が届いてないか聞いたら、こちらへどうぞと案内された。

「この中にないですか?」と彼女が指差したのは、数十本の置き忘れ鞭であった。

私だけではなかった!
こんなにも多くの置き忘れ鞭がと喜びながらも、二度と忘れまいと心に誓い、馬具をつけて、馬場に出て張り切って馬にまたがって、鞭を持ってないことに気づいた。

馬には鞭は無用だが、私には愛の鞭が必要ですね。
ピッシー!