「絵」も、文書や記録類と同じように立派な歴史資料である、という立場から書かれた本である。
ルネサンスのころは絵は注文をもらってから描くものだった。
私みたいに、好きに絵を描いて出来上がったのを並べて、気に入ったら買ってください、イヤいりませんと断られるようなものではなかった。
絵は「芸術作品」ではなく「工芸品」みたいなもので、「画家」も「職人」だった。
「モナリザ」は、今だったらいくらくらいの値がつくのか想像を絶するが、当時は目を回すほどには高くなかっただろう。
注文主と画家との間の契約書が残っていて値段の取り決めも細かく書いてある。
いろんな決め方があったようだ。
フェッラーラ公ポルソ・デステという人の買い方は単純であった。
「30平方センチでいくら」という風に決めた。
そんな人は少なくて、だいたい「材料費+手間賃」だったようだから、洋服の仕立て屋さんみたいな感じだ。
当時の人は「青絵の具」に大変こだわっている。
「まがいものでなく、本物のウルトラマリンを使うこと」などと契約書に明記した。
いい青は高かったのだ。
「いい青」にも差があった。
「聖母マリアの服には、1オンス2フロリンの青を使うこと。その他の人物の服には1オンス1フロリンの青」などと細かく指示した契約書もある。
安物の青は変色したりはがれ落ちたりした。
だから、用心深く、「十年以内に変色したら責任を持って修復すること」と、「十年保証」を取り入れた契約もある。
「弟子に手伝わせたらダメ」というのもある。
手伝わせてもいいけど、常時親方が監督していること、人物の顔と上半身は親方が描くこと、というのもある。
絵の具の調合は弟子任せにせず親方自身の手で行うこと、というのもある。
ルネサンスの客は注文の多い客だ。
このころの絵は、教会などに寄付されることが多かった。
金持ちは、きれいに金を使う義務があったようだ。
教会にいろんなものを寄付するのは立派な金の使い方だった。
著者によれば、絵は目立つ割に安かった。
錦織や鐘や大理石の舗装にくらべると絵は安かったそうだ。
ルネサンスの巨匠たちが気の毒になってくる本である。