若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

まつり縫い

新聞に、文部省が行った、中学3年生の家庭科実技試験に関する報告が出ていた。

ズボンのすそなどを縫う「まつり縫い」ができたのは、半数以下だったそうだ。

「まつり縫い」?
そんなん、習ったかな?

小学校で雑巾を縫ったり、ボタンをつけたりしたのはおぼえてる。
中学では、男子は裁縫系はしなかったと思う。
木工、金工系をした。

木の箱を作ったことがある。
ふたのついた、道具箱みたいなもので、ニスを塗って仕上げた。

クラスに、勉強のできない、かなりボーっとした子がいた。
その子が仕上げた箱を見て、すばらしさに驚いた。
一気に尊敬してしまった。

「家庭科」がいつから始まったか知らないが、たぶん私たちが、「家庭科第一世代」ですよ。
小学校のとき、近所の書道塾に通っていた。
先生は、「ガンコジジイ」という感じの人だった。
大変こわい先生だった。

先生は、小学生や中学生を前に、いろんな問題を論じた。
朝日新聞の「天声人語」から話題を取ることもあった。

あるとき、先生はおごそかに言った。
「この『天声人語』というのは、えら〜いえらい人が書いてはるんじゃ!」

私にとって、この先生は大変えら〜い人だったから、そのえら〜い先生が、えら〜いえらい人というのは、どれほどえら〜い人なのであろうかと、「天声人語」の筆者に畏敬の念を抱いた。

先生が、新聞記事をネタに、何か話していて、突如烈火のごとくに怒り出したことがある。

「新聞を読んどったら、学校で、男の子にも裁縫を教えることになったそうじゃ!けしからん!なんで男の子に裁縫なんか教える必要があるのじゃ!」

頭から湯気を出して怒った。

「男が針を持つことはないのじゃ!旅先でふんどしが破れたくらい、宿屋の女中につくろってもらえばええのじゃ!」

小学生であった私にとって、旅先でふんどしが破れるというのは、あまりにもシュールな話だったし、宿屋の女中につくろいを頼むのというも、東映時代劇的で、先生が怒りのあまり、実に突拍子もないことを言いだしたという気がして、このときのことをはっきりおぼえている。

男子針を持つべからず。
家庭科も大変だったのですね。