若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

「なか36けん」

記憶に残ってしまう、ということがある。
おぼえる必要もないのに、残ってしまう。

「なか36けん」という言葉も、その一つだ。
50年以上前に、一度聞いただけなのに、記憶に残ってしまっている。

小学校のとき、B君という子がいた。
在日韓国人朝鮮人の多い地域で、彼もその一人だった。

時々、学校に来なくなった。

勉強は全然しなかったと思う。
「落ちこぼれ」ともいうべき存在だったと思うが、当時はそんな言葉がないので、落ちこぼれではなかった。

時々、名前が変わった。

「おれ、今日から、中村や」と宣言する。
ふ〜ん、と思った。
別の名前だったこともあったが、忘れた。

四年生か五年生のとき、クラスの仲間で野球をした。
B君もいっしょだった。
場所は、簡易裁判所の裏の、せまい原っぱだった。

B君が打ったボールが、簡易裁判所に飛び込んで、窓ガラスが割れてしまった。
おじさんが出てきた。
ただのおじさんではない。
簡易裁判所のおじさんだ。

私たちは縮み上がっていた。
おじさんは、怖い顔をして、誰が割ったか聞いた。
そして、B君に「名前は?」といった。
B君は、数ある名前の中から、本名を名乗った。

「住所は?!」
「なか36けん」
「な、何?!」
「なか36けん」
「・・・」

おじさんは、黙ってしまった。
神妙に答えるB君に、おじさんが負かされたようで、なんだか愉快であった。

私は、B君の「家」を知っていた。
誘われて、行ったことがあるのだ。

B君の「家」に着いて、私はぼーぜんとした。
壁が「むしろ」で、屋根も「むしろ」で、床も「むしろ」のような感じだった。
そういう「家」が密集していた。
人が大勢いた。

ずっとあとになって、あの「なか36けん」というのは、36家族が寄り集まって暮らす地域の通称だったのだと思った。