昔々、受験生だったことがある。
なにぶんはるか昔の話のことなのではっきりしないが、たしか私は受験生だったことがあると思う。
うちの子供たちが受験生だったのも、はるか昔のことのような気がする。
T美術研究所に通うようになって、受験が再び身近なものになってきた。
美術大学への予備校だから、「○○くん、△美大合格おめでとう」などと書いた紙が壁に張ってある。
私は、火曜の午後に行く。
いつも女の子が二人と男の子が一人いる。
浪人生なのでしょう。
女の子二人は、鉛筆デッサンをしている。
男の子は、「色面構成」とでもいうのか、画用紙を色で分割して塗っている。
女の子たちは、時々先生の前で、展覧会の感想などを発表する。
入試で、そういうのがあるのだろう。
「私は、○○展に行ってきました。○○は野獣派の画家で・・・。激しい色使いが面白いと思いました」というようなことを話す。
二人とも話し方はかなり頼りない。
話し方は頼りないが、絵はしっかりしている。
非常にうまいと思う。
京都芸大志望のようだ。
昨日は、感想発表の後、鉛筆デッサンの批評会。
課題は、切り株。
床に、一辺50センチくらいの鏡が置いてある。
その四隅に、プラスチックの柱が立ってる。
鏡の真ん中に、切り株が置いてある。
それを鉛筆で精密に描いてある。
うまいなあと感心する。
しかし、先生の批評は厳しかった。
「何を描きたいのかわからない。ただ、課題を与えられたから、何となく描いているだけではないか」
一人が、「時間が足りませんでした」と言った。
先生は、その子をキッと見た。
「○○さん、キミを見てたら、教室に入ってきて、イーゼルをごそごそ出して、鉛筆を並べて、ゆっくりペットボトルのお茶飲んで、のんびりしてるなあと思うよ。それで時間が足りませんでしたて、キミなあ、受験生やろ・・・」
そのうち、彼女は、しくしく泣き出した。
ひゃ〜、かわいそ〜。
先生、そんなきついこと言わんでも。
もう一人の子は、けなげにも、「もうちょっと描きます!」と言って、イーゼルに向かった。
しばし、しくしく泣いていた子も、「もうすこし描かせて下さい」と言って、描き始めた。
よかったよかった。
私は、木炭でミロのビーナスを描きながら、美大受験生でなくて良かったと思った。