若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

語りかけ

先ほど、いい色のウンチしました。(注:今後、この日記は、特に断らない限り、私ではなく、はなちゃんのことを書きます)。

いい色と、甘酸っぱい香りを、皆様にお届けできないのが残念です。
いや、宅急便ならできるな。(ただし、着払いのみ)。

はなちゃんが我が家に来て三日目であるが、すでに、「はなちゃんこそ、この家のアルジなり!」という感じになってしまっている。

ウチの次女が、はなちゃんをつれて我が家に帰ってきたというのではなく、はなちゃんがウチの次女を連れてやってきた。
というか、はなちゃんがこの家にずーっと住んでて、私たち夫婦と次女が、はなちゃんのお世話をするため派遣されてきた、という雰囲気である。

派遣三人の中で、一番働きが悪いのが次女だ。
おっぱいを飲ませるだけといっていい。
他はすべて、私と家内がこまねずみのように働いて、お世話してさしあげている。

そのおっぱいも、次女がはなちゃんを抱いて椅子に座り、右に私、左に家内が常時跪いて控えているのだ。
「聖母子像」と「釈迦三尊像」を足して二で割ったような絵柄である。
バチ当たりなたとえで、牧師さんやお坊さんに怒られるかもしれないが、そんな感じなんです。

この三日で感じたことは、次女の、はなちゃんに対する「語りかけ」が足りないということだ。

自分でおっぱいを飲ませるときも言葉が少ない。
私たちが、おしめを替えたり、沐浴させたりしているときも、次女は見ているだけで、「語りかけ」が少ない。

赤ちゃんに語りかけるのは、母親としてきわめて重要な仕事である。
はなちゃんに、もっと積極的に話しかけなさい、と注意したら、次女にも言い分があった。

私と家内が、二人そろって、朝から晩まで、のべつまくなし、休むまもなく、シャワーのように、機関銃のように、授乳時、沐浴時、おしめ交換時、起きていようが寝ていようがお構いなく、はなちゃんに語りかけるので、言葉をはさむ余地がないというのだ。

いわれてみれば、そうかもしれない。
明日からは、心を鬼にして、はなちゃんに語りかけるのを控えようと、家内と涙ながらに誓い合ったのであった。