家内が、だいぶ以前から、「はなちゃんが、お話してくれる」てなことをいうんですよ。
生後二ヶ月足らずで、お話してくれるわけがない、と思うのは素人の浅はかさで、はなちゃんが、「あー」とか「うー」とか「ふー」とかいうのが、「お話」になってしまうのが、「祖母力」の恐ろしさである。
しかし、「あー」とか「うー」とか「ふー」とかいうのを、「お話」とは、いくらなんでも言いすぎだと思う。
「祖母ばか」にもほどがあると、聞き流してきました。
ところがである。
きのうの朝、ベビーベッドで目をさましたはなちゃんに、「おはよう」といったら、はなちゃんは、「あーうーふー」といったんです。
すばらしー!
こうなると、「はなちゃんがお話をしてくれた」といっても、誰からも文句は出ないでしょう。
「あー」とか「うー」とか「ふー」とかいったというのは、ただ音を発したというか、音がもれただけである。
とても「話した」とはいえない。
しかし、「あーうーふー」になると、レベルがちがう。
完全に、言語である。
何を言ってるのかわからないのは、私が悪いのであって、はなちゃんを責めることはできない。
きのうは、はなちゃんが話し始めた記念すべき日である。
さて、今朝、はなちゃんお目覚めの声に、ベビーベッドに急行。
お目覚めの声でも何でも、はなちゃんの声が聞こえたら、急行します。
ベビーベッドで、お目々をぱちくり開けたはなちゃんに、元気良く「おはようございます!」といったら、はなちゃんは、私を見て、ニカーッと笑った。
私は、その場に倒れそうになった。
これまでも、はなちゃんは、ニカーッと笑うことはあった。
それは、突発的偶然的適当的気まぐれ的ニカーッであった。
笑うというより、筋肉の引きつりであった。
しかし、今朝の「ニカーッ」は、「あいさつ的ニカーッ」であった。
と思います。
昼、寝たと思ったはなちゃんが、すぐにぐずぐず言い出したので、おしゃぶりでもくわえさそうと持っていったら、私を見て、ニカーッと笑った。
私は、またも倒れそうになった。
かろうじて踏みとどまった私は、おしゃぶりはやめにして、抱っこすることにした。
私を見てニカーッと笑ってくれたはなちゃんに、おしゃぶりをくわえさせて、ハイさようならというわけにはいきませんよ。
笑顔というのは、人類の偉大な発明だと思いました。