若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

じっと手を見るのは、石川啄木だけではありませんよ。

きのう、はなちゃんが、じっと手を見ていた。

まもなく生後三ヶ月を迎えるはなちゃんが、小さな布団に寝転がり、短い左腕をいっぱいに伸ばし、握ったり開いたりしながら、不思議なものでも見るようにじ〜っと見つめている姿は、哲学的と言おうか、科学的と言おうか、宗教的芸術的、まあ、人間のすべての行いの源流を見る思いで、厳粛な感じが致しました。

長女が生まれて、同じようなことをしたころ、得意先の工場の掃除のおばちゃんに言ったら、「あかちゃんは、自分の手が花に見えるそうですなあ」と言った。

なかなか良い解説だと思った。

きのうは、人物画教室。
このところ、椅子に座ったモデルさんの全身像ばかり描いてるので、今回は、腰から上の半身像を描いてます。

始まる前、描きかけた絵を先生に見てもらった。
80を過ぎた、小柄で白髪もしゃもしゃ頭の仙人みたいな先生は、「う〜ん」とうなった。

「右手がいりますなあ」

顔と、椅子の背に乗せた左手だけ描いていたのだ。
ひざに置かれた右手は、画面に入れてない。

「構図的にはねえ、右手がいりますなあ。顔と、左手と、右手、これで画面がまとまるんですなあ」

なるほど。
しかし、ここまで描いて、描きなおすのもなあ。

「今回はこれで仕上げて、来週、また一から描いてみます」
「まあ、それも勉強になるかもしれませんなあ」

先生は、いったん向こうに行ったが、モデルさんがポーズを取ると、また私の横に立った。
今回はこのまま続けるつもりの私は、せっせと筆を動かしていた。

先生は私の横から動かない。
先生の手が、細かく震えるように動いているのに気づいた。

笑いそうになった。
先生の手は、「筆!筆!筆を!」と叫んでいるのだ。

私の画面に右手がないのが、どうしてもがまんできないのだ。
気になって気になって仕方がないのだ。

許せん!
天にかわりて不義を撃つ、じゃないけど、芸術の女神にかわりて、という感じだ。

私は笑いをこらえながら先生に筆を渡した。

「やっぱり、右手が・・・」

先生はブツブツつぶやきながら、強引に右手を入れた。

「無理にでもつなげた方がよろしおまっしゃろ」

かくあるべし!
こういうときの先生は、律法学者のようである。

はなちゃんの手も先生の手も、いいお手々です。